やっぱりランボルギーニのブランド力は半端ない! 金持ち農家にコレクターまで「ランボトラクター」が引っ張りだこだった (2/2ページ)

世界中の富裕な農家から引っ張りだこのトラクター

 さて、L33についでランボルギーニ・トラクターの主力商品となったのは、1952年に発売されたDL30と同40にほかなりません。もっとも、エンジンは自社製モリスのほかにも、ドイツのMWM(メルセデス・ベンツ系産業機械メーカー)、あるいはイタリアのロンバルディーニ製エンジンを搭載。フェルッチオとしては外注よりも、自社生産の方がはるかに安上がりだと、一刻も早くランボルギーニエンジンだけにしたかったのですが、それは1956年まで待たねばなりませんでした。

 そうして、満を持して登場したDL30Nは1.8リッターの2気筒エンジンで、およそ30馬力を発生したとのこと。また、電動スターター、ダイナモ、燃料ポンプといった現代的装備に加え、油圧リフト、ディファレンシャルギヤ、液冷装置など農機に求められる機構も盛りだくさん。それゆえ高価だったのか、UMA(イタリアの農業用エンジン登録機構)にはわずか21台しか登録されておらず、ランボのトラクターマニア(笑)の間では幻のマシンとして鉄板の人気を誇っているのです。

 むろん、未登録のトラクターも数多く存在すると史家は記していますが、オークションで人気があるのは登録車両。例によって、ナンバーマッチングがものをこういうそうで、このあたりはクルマと同様の傾向ですね。

 時代が前後しますが、1955年にランボルギーニ初となるクロウラー(いわゆるキャタピラ駆動モデル)DL25Cがリリースされています。こちらはディーゼルエンジンのみのラインアップで、用途も特殊だったことから生産期間もごく短かったようです。

 また、ディーゼルエンジンは先のMWMがほとんどの車両に採用されており、イタリアでもドイツ製品の品質や性能は人気があったことがわかります。

 なお、1952年に制定されたファンファーニ法(イタリア製農機を購入すると優遇金利で融資を受けられる法律)によって、ランボルギーニをはじめとした農機具メーカーは大躍進を遂げています。実際、1956年には新工場を開き、250%の増産を可能にしたとされています。

 そして1962年には自社製の空冷2気筒エンジンを搭載した4輪駆動モデル、2R DTをシリーズ化させていきます。これまたスマッシュヒットとなり、フェルッチオに巨万の富をもたらしたといわれます。

 ちなみに、フェルッチオがエンツォと会って、侮辱的な態度をとられたというのがこのころの出来事とされていますね。自社のクラッチプレートが250GTOに使われていて、しかもパーツの価格が10倍だったとかなんとかだと、フェルッチオはのちのインタビューでぶちまけていました。この出来事が自動車メーカーの創立を決心させたことは有名な事実ですが、トラクターで大儲けしていたことも大きな理由に違いありません。

 ところが、1972年になるとイタリアにもオイルショックの衝撃が伝わり、トラクター事業に暗雲が立ち込めることに。結局、インドの企業、SDFグループに身売りすることになるのですが、その後もトラクターの開発はしっかりと進みました。

 たとえば、イタリア製トラクターとして初めてシンクロギヤを搭載したり、エンジンのハイパワー化による農作業効率を向上させたり、クルマ好きなフェルッチオの意思をしっかりと実現しているのです。

 前述のとおり、現在でもランボルギーニ・トラットーリは存続しており、世界中の富裕な農家から引っ張りだこ。クルマのランボルギーニと同じく、いやそれ以上のステイタスシンボルとなっているのだそうです。

 これなら、クラシックトラクターがスーパーカー並みの人気を誇るのも大いに納得です。クルマより圧倒的に生産台数も少ないので、今後の値上がりはあっても、決して値下がりはないでしょう。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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