やっぱりランボルギーニのブランド力は半端ない! 金持ち農家にコレクターまで「ランボトラクター」が引っ張りだこだった (1/2ページ)

この記事をまとめると

■ランボルギーニの前身であるランボルギーニ・トラットーリは現在もトラクターを作っている

■ランボルギーニのトラクターはコレクターズアイテムとして高値で取引されている

■クルマのランボルギーニ以上のステイタスシンボルとなっている

いまもランボルギーニはトラクターを作り続けている

 ランボルギーニの前身がトラクターメーカーだったこと、あまりにも有名な事実かと。男気溢れることで知られる創始者、フェルッチオ・ランボルギーニは、第二次世界大戦中に軍用車の整備事業を一手に引き受け、戦後はその余剰パーツを使って商用車に携わることに。そのうち、農業大国でもあるイタリアの農家むけに農機、いわゆるトラクターの製造に目を向けたのです。

 ランボルギーニの名を冠した農機ブランド「ランボルギーニ・トラットーリ」が発足したのは1948年のことで、途中で買収もありながら現在も同社はトラクターを作り続けています。

 また、スーパーカーのランボルギーニと等しく、ランボルギーニのトラクターがコレクターズアイテムとして高値で取引されているという意外なんだか、当然なんだかよくわからない状況もあるそうです。そんなランボルギーニの礎を築いたとされるトラクター、紐解いてみるとやっぱりフェルッチオらしさ全開のエピソードが盛りだくさんでした。

 1945年にイタリアで結成されたARAR(Azienda Rilievo Alienazione Residuati=残留物処理調査会社)から供給された軍用車むけエンジンと、ディファレンシャルギヤでもって、当初フェルッチオは商用車を組み立てることを思いつきました。が、戦後のイタリアでトラックを作れるほど物資は満足に流通しておらず、またフィアットという巨人には「到底かなわん」と肩をすくめるしかなかったといいます。

 で、閃いたのがトラクターづくりでした。商用車ほど資材を必要とせず、またエンジンの性能だって「動けば上等」くらいのものでしたから、大量に買い叩いてきたエンジンとデフで十分イケると踏んだのでしょう。

 そして、1948年になるとフェルッチオはトラクター製造会社「ランボルギーニ・トラットーリ」を創立。最初はARAR供給のモーリス製ガソリンエンジンを使用し、ごくプリミティブなトラクター「カリオカ」をほぼ手工業的に製造というスタートでした。

 それでも、機に敏いフェルッチオのこと。農家にとって当時のガソリンは高くてなかなか手が出しづらいものだったため、一計を案じてディーゼル燃料で稼働するよう手を加えたのです。始動こそガソリンで点火したものの、運転時にはフェルッチオ考案のインジェクション(のようなもの)でディーゼル燃料を噴射。ライバルたちに一歩差をつける機構が盛り込まれたのです。

 おかげで、生産台数が週に200台を越えるようになったのですが、ここらでARARからの供給は底をついてしまいます。そこで、フェルッチオは自社製エンジンの開発に乗り出し、3.5リッターの6気筒エンジン「モリス」を作り上げます。

 これは信頼性も高く、カリオカで使用したディーゼル燃料噴射デバイスも継続されたので、評判は上々。このモデルはL33と呼ばれ、ランボルギーニ・トラクターにとって最初のモデルと記録されています(おそらく、カリオカは同社にとって試作機、パイロット版という意味合いだったかと)。

 ちなみに、ファーストモデルだけあってオークションなどでも高値で取引されているようです。状態のいいもので、およそ5万ドルからスタートし、ミントコンディションであれば10万ドルに届くものもあるとのこと。もちろん、農機として使うわけではなく、もっぱらコレクションの一部になるのでしょうが、それにしても50年以上前の農機とは信じがたい値段ではあります。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

文筆業

愛車
三菱パジェロミニ/ビューエルXB12R/KTM 690SMC
趣味
DJ(DJ Bassy名義で活動中)/バイク(コースデビューしてコケまくり)
好きな有名人
マルチェロ・マストロヤンニ/ジャコ・パストリアス/岩城滉一

新着情報