デコトラ文化が理解されない世になったという側面も
「石原都政とNOx・PM法の影響でデコトラが減ったということは、確かにあったかもしれませんね。事実、当時首都圏の都市部から、地元に低年式のトラックが流れてきましたからね」と、群馬県太田市のある運送会社の代表が話してくれた。
「ただ、近年ではデコトラの減少はそれだけが原因とは言い難くなっています。荷主や納品先の管理者、陸運支局の担当者たちが世代交代し、映画『トラック野郎』の時代を知る人たちが減っているというのも影響していると思います。ウチでもつい先日『箱に筆文字を入れたトラックは寄こさないでくれ』と荷主言われましたからね」。
現在ではそんな社会情勢に合わせて、一見しただけではわからない場所に飾を施す「見る人が見ればわかる」かのような、そう昔の江戸っ子の羽織のようなアートを施したデコトラも増えている。また、ヨーロッパで盛んなトラックのカスタマイズを参考にした「ユーロアート」も流行り始めている。そういった近年のトレンドを垣間見ると、絶対数は減ったとはいえ、トラックを飾る、というカルチャーは、これからも続いていくことは間違いないだろう。
バンパーライト車の普及や、荷主または納品先のトラックに対する認識や社会情勢に合わせて、ヨーロッパを意識したカスタマイズ「ユーロアート」を施すトラックオーナーや運送会社も増えている。
最後にひとつ余談。石原慎太郎氏は都知事就任直後の1999年、記者会見にディーゼル車が発生させたススを詰め込んだペットボトルを持ち込み、「こんなのが1日12万本出ている。みんなこんなものを吸っているんだよ!」と会場にぶちまけ、集まった記者たちを驚かせたという。この発言とその後の政策により、石原氏はディーゼル車を悪者にした権力者、というイメージを世間に持たせてしまったが、同氏が悪として根絶を追求したのは根本的には「大気汚染」でありトラックそのものではなかった。
当時の、とくに都内のPMによる大気汚染は深刻で、さらに燃料の軽油も灯油を混ぜてコストを下げたような不正な粗悪品がまかり通っていた。それらを根絶させるための排ガス規制であり、「デコトラ憎し」ではなかったはすだ。
石原氏は参議院議員に当選した1968年、初登院の日にマツダ・コスモスポーツで国会議事堂に乗り付けたというほどの、根っからのクルマ好きなのだから。