この記事をまとめると
■イタリアの巨匠ジョルジェット・ジウジアーロが手がけた国産車を紹介
■フロンテクーペやピアッツァなどスポーティで美しく先鋭的な名車を手がけた
■ジウジアーロは時代を越えて語り継がれるデザインの名車を数多く残している
天才ジウジアーロは多くの日本車を手がけた
近年は各メーカーのインハウスデザイナーが充実し、かつてのように外部工房、カロッツェリアなどの仕事は大幅に減っているようです。しかし、その「作品」の素晴らしさは誰もが認めるところ。そこで、今回はイタリアの巨匠、ジウジアーロが手掛けた国産車5台を振り返ってみたいと思います。
●軽自動車のイメージを変えるクーペボディ
では年代順に、まずはスズキのフロンテクーペからです。軽自動車市場の拡大に伴い、各メーカーが個性的かつ高性能なモデルを用意するなか、3代目のフロンテをベースにクーペ化を図り、1971年に登場しました。
精悍なブラックの横桟グリルから始まるボディは、大きくカーブを描いてルーフへ続くベルトラインや大胆に切り落とされたリヤエンドを筆頭に、リヤクォーターピラーのルーバーというディテールに至るまで、とても国産車とは思えない佇まい。わずか1200mmという全高が、決定的なスポーティさを打ち出しています。
もともと、ジウジアーロの提案は1.5ボックスのワゴンタイプでしたが、スズキの社内デザイナーがクーペボディへ仕立て直したといいます。それでも、美しいキャビン形状やボディを上下に分けるキャラクターラインなど、これぞジウジアーロと思わせる要素はほかにない特徴と言えるでしょう。
●時代を越えて輝くスーパー空力ボディ
2台目は、初代のいすゞピアッツァです。ジウジアーロによるクーペプロダクト・アッソシリーズの3作目「アッソ・ディ・フィオーリ」の量産型として1981年に登場しました。
2ドアクーペとしてパーフェクトなプロポーションはもとより、ショルダーを1周する深いキャラクターラインによって強調された張りのある面造形が秀逸。徹底したフラッシュサーフェス化も含め、その後数十年のデザイン言語も提示しました。同時に、乗車定員4名という実用的パッケージもまた巨匠ならではでしょう。
考えてみれば、先代に当たる117クーペとのわずか2台で、恐らくは40~50年間もの自動車デザインを表現してしまったと言えます。それは偉業としか言えない仕事ですが、一方で、この提案を量産車として成立させた、故・井ノ口誼氏率いるいすゞのデザイナー陣の活躍も評価されるべきでしょう。