みんな鼻息荒く流行に乗っかってた時代! 昭和の「クルマブーム」3選と火を付けたクルマたち (2/2ページ)

軟派な男達はクーペに乗った!

ハイソカーブーム

 クルマ好きといっても、若い方には通じないブームかもしれません。ハイソは「ハイソサエティ=上流階級」を略した言い方であり、笑っちゃうかもしれませんがソアラとかマークII3兄弟なんかが上流階級、アッパークラス扱いされていたムーブメントがあったのです。

 1980年代中頃といいますから、バブル経済の揺籃期に巻き起こったわけで、少しずつ上向いていった景気をいち早くキャッチできた方々が、どちらかといえば値の張るクルマに手を出し始めたわけです。

 その筆頭はまさしくソアラにほかならず、3ナンバー専用の大型ボディやゴージャスなインテリアなど当時のトヨタでも異端視されるほどの高級路線。スーパーホワイトなんてボディカラーもハイソカーのデフォルトで、ワークとかSSRの3ピースホイールを履かせて、リヤトレイにロンサムカウボーイことパイオニアの据え置きスピーカー(もちろん、イルミ付き)なんか装備したらハイソ中のハイソ(笑)。

 これが70系マークIIあたりになると、ハイソカーの牽引役でありながらどんどん族車テイストのカスタムが流行。3ピース履かせるのはもちろん、鬼までいかなくともいくらかのネガティブキャンバーやオーバーフェンダー、柿本やHKSのマフラー(あるいは別のマフラーでステッカーだけそれっぽいやつ)なんてのが定番だったかと。

 あ、上流階級だけに車内は土足厳禁てクルマも少なくなかったですよね。で、乗り込むときに車内用サンダルとかスリッパに履き替えるのでしょうが、脱いだ靴を忘れていくハイソカーの多かったこと(笑)。

 ちなみに、ハイソカーブームは数多くの模型メーカーも乗っかったので、ノスタルジックに浸りたい方はアオシマやフジミのプラモって手もありますよ!

デートカーブーム

 ハイソカーが不良向けだったとすると、デートカーは軟派な男子向けブームだったかと。火付け役となったのはプレリュードやシルビアだったと大方のメディアで報じられています。が、筆者としてはセリカやコロナクーペ、ひいてはカリーナEDあたりもリアルに人気があったかと。私をスキーに連れてってから始まって、EDなんてエキサイティング・ドレッシーとかなんとかいう意味らしいですから、デートカーというのはいい意味で浮ついた社会の産物にほかなりません。

 もっとも、デートカーというのはポパイやホットドッグなんてライフスタイル誌でおなじみのデート企画で取り上げられたのが始まりでしょう。血眼になって活字を読んだのは後にも先にもあれっきり、というくらい熱心に読みふけり、「そっか、ふたりのラブ空間はクーペが演出するのか!」などと荒っぽい鼻息をもらしたりしてね。

 で、デートカーにつきもののカーステ用にデートセレクトのカセットテープをたんまり用意して、ビール工場が見えてきたらユーミンが鳴るよう慎重なセッティングをしたことが昨日のように思い出されます(笑)。

 ちなみに、筆者は母ちゃんのアコードしか乗れなかったので、デートカーと呼ばれるすべてのクルマに嫉妬していました(涙)。

 昭和が生んだブームは、いずれも同じ時代を生きたクルマ好きならいまも色濃く胸に残っているはず。平成や令和の時代になったとて、決して古臭くなるものでもありません。むしろ、いまではエコやらコンプラでもって味わえないものの方が多いはず。ぜひ、そんな経験を若者にも伝えてみてはいかがでしょう。うざったい顔されたとしても、内心ではきっと羨ましがられているに違いありません。知らんけど(笑)。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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三菱パジェロミニ/ビューエルXB12R/KTM 690SMC
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