この記事をまとめると
■デコレーション・トラック(デコトラ)は映画「トラック野郎」でブームになった
■一時期は大流行したがコンプライアンスの観点などから使用を控える企業が増えた
■現在デコトラは海外からも人気が高く、イベントを開催すると大盛り上がりだという
一時期大流行したデコトラの昔といまを振り返る
車体に煌びやかな装飾を施したデコレーション・トラック(デコトラ)。1975年8月に菅原文太と愛川欽也が主演した東映の映画『トラック野郎』シリーズ第1作目が公開されると日本中でブームが沸き起こり、日本のカーカルチャーとして定着した。
そもそも「デコトラ」は映画がきっかけで生まれたわけではない。諸説はあるが、1960年代に物流の主役が鉄道からトラックに代わった頃、鮮魚などを運ぶトラックが錆を防止するために車体にステンレス板を貼ったり、観光バスの標識灯、メッキされたホイールカバー、軍用車払下げのエアホーン(ヤンキーホーン)などを取り付けたりしたのが始まりとも言われている。
ドライブインなどで仲間同士がパーツの互換性などの情報交換を行い、ダンプや青果便など異なる業種の運転手にも伝わったのだろう。いまでこそ専門のパーツメーカーやショップも存在するが、そんなものがない当時は、運転手たちの試行錯誤によって愛車を飾ったと聞く。ちなみに「デコトラ」は、映画のブームに乗っかって「デコトラ」のプラモデルをいち早く商品化した静岡県にある模型メーカー「株式会社青島文化教材社」の登録商標である。
1970年頃のデコトラ。当時のトラッカーに人気のあった 三菱ふそうの大型車(T951型 ・1968年式)に純正部品やフォグランプなどを活用して飾りを施している。(提供:宮﨑靖男氏)
映画『トラック野郎』は1979年12月に公開された第10作目でシリーズが終了したが、その後も一定数のファンが存在し、1984年には専門誌「カミオン」(芸文社)が創刊され、1980年代後半には(映画公開時を第一次とするならば)「第2次デコトラブーム」が発生。街道にデコトラが溢れ、雑誌だけでなく、映画・ドラマ・バラエティー番組などさまざまなメディアにも取り上げられていた。
それから30年、あの頃の「デコトラ」はどうしているのだろうか? 今でも街なかで時折見かけることもあるが、明らかに数は減少しているように思える。昔のように運送業界が高賃金でなくなったこと、安全基準や排出ガス規制対策でトラックの車両重量が重くなり、飾りを装着すると積載量が取れなくなったことなど理由はいくつか考えられるが、やはり大きいのは、コンプライアンスの観点などから荷主となる企業が飾った(派手で目立つ)トラックによる輸送を嫌厭するようになったことだろう。
1986年頃のデコトラ。会社所有のいすゞフォワード(1983年式)に「ウロコステンレス」という素材で製作したシートキャリアやバンパーなどを装着し、大手住宅メーカーの建築資材を運んでいた。(1986年茨城県にて撮影)