カウンタックの「エボモデル」まで存在! ランボルギーニのワンオフモデルを調べたらあまりに自由すぎて衝撃【中編】 (2/2ページ)

カーボンボディのカウンタックが存在していた

 その後もランボルギーニには、「J」の存在を知るカスタマーから、ミウラをベースとしたレプリカを製作してほしいという(「J」はミウラがベースではない、真のワンオフモデルだった)依頼が殺到。ランボルギーニが先日リリースしたところによれば、合計で4台の「ミウラSV-J(イオタ・レプリカ)」が、ランボルギーニの本社工場で製作されたとされている。

 ボブ・ウォレスは、その後もさまざまな高性能モデルの製作を行っている。当時、シルエットと呼ばれていたグループ5のレギュレーションに基づく3リッター仕様の「ウラッコ・ラリー」や、それをベースに新デザインのオープン2シーターボディを組み合わせた「シルエット」などがそれで、また彼は1970年式のハラマSをベースに、さらにスパルタンな2シーターの「RSハラマ」も作り上げている。

 ランボルギーニにとっての1970年代は、ミウラシリーズの終結と、カウンタックシリーズの誕生という、ハイエンドの12気筒モデルに大きな変化があった時代だった。カウンタックのプロトタイプ、つまりワンオフのショーモデルである「カウンタックLP500」は、1970年のトリノショーで姿を現すが、誰もがまず驚かされたのは、未来から訪れたようなそのスタイリングにほかならなかった。

 だが実際にはこのスタイリングこそが、エンジンルームなどの熱対策に大きな影響を及ぼし、実際に最初のプロダクションモデル「カウンタックLP400」が誕生するまでには、まだ3年ほどの時間を待たねばならなかった。

 カウンタックはその後、「LP400S」、「LP500S」、「5000QV」、そして「アニバーサリー」へと進化を遂げるが、その裏ではその運動性能をさらに高めるための、そしてまたV型12気筒エンジンではないパワーユニットを搭載するモデルの開発が進められるようになった。

 1974年のトリノショーで発表されたブラボーについてはすでに触れたが、1980年の同ショーには、これに続く作品としてベルトーネは「アトン」を発表。

 そのボディデザインは、シルエットの手法をさらに推し進めたフルオープンのロードスターで、そのコンセプトは後にカウンタックの後継車であるディアブロで再現されることになる。ガルウイング式のドアを採用していたのも大きな特徴だった。

 カウンタック自身の進化も見逃せない。1985年、ランボルギーニは新開発の軽量素材の研究を開始。それは現在ではポピュラーになりつつあるカーボンファイバーで、初採用されたのは「カウンタック・エボルツィオーネ」で、これは5000QVをベースとした実験車である。

 そしてこの頃、ランボルギーニへと入社したのが、現在パガーニ・アウトモビリ社を率いるオラチオ・パガーニ氏。彼はデザイナーであるばかりでなく、軽量素材の専門家でもあるのだ。実際に完成されたカウンタック・エボルツィオーネは、ベースの5000QVより400kgも軽く仕上がったという。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
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