この記事をまとめると
■60周年を迎えたランボルギーニはこれまでに数多くのワンオフモデルを発表してきた
■たった1台が製作されたランボルギーニの伝説的モデル「J(イオタ)」は真のワンオフモデルだった
■軽量素材の研究のために1985年にはカウンタック・エボルツィオーネも製作された
カウンタックとほぼ同時期に誕生したもうひとつの宇宙船
60周年を迎えたランボルギーニ。その歴史のなかには、数多くのワンオフモデルもしくはフューオフモデルが存在している。そこで今回は、4シーターモデルと1970〜80年代を中心としたワンオフモデルを紹介する。
まず、4シーター・ランボルギーニでは、やはりウラッコの存在が際立つ。すでにその開発がスタートしたとき、同社ではゼネラルマネージャー的な存在にまで昇り詰めていたパオロ・スタンツァーニ。彼が描いた小型ミッドシップの設計図は、もはやストイックの象徴ともいうべきものだった。
搭載されたエンジンは超オーバースクエアのボア×ストローク値を設定した90度のV型8気筒。これまでのランボルギーニ製V型12気筒エンジン同様、アルミニウム製のブロックとヘッドを持ち、ブロックからオイルパンまでは一体成型されている。
最高出力は220馬力と当時のポルシェ911 S 2.2を超えるもので、このパワーユニットを横置きミッドシップしながら、スタンツァーニは2450mmのホイールベースと+2シーターのキャビンを実現したのだ。
ウラッコの最終進化版ともいえる「P300ウラッコ」をベースとしたランボルギーニ自製のエクスペリエンスモデル(実験車)、「ブラボー」もまた、ランボルギーニの歴史的遺産としてその価値は貴重だ。
エスパーダからの進化という点では、1981年にカロッツェリア・フルアが製作した4ドアモデルの「ファエーナ」も忘れてはならない存在だ。エスパーダではコンパクトなリヤクォーターウインドウを備えるのみのリヤサイドのデザインだが、ボディシルエット全体を大胆にリニューアル。リヤには左右後方、そして上面から光が差し込む、明るいラゲッジルームが設けられることになった。エスパーダのエンブレムは左フェンダーの後方に移動。逆に右フェンダーにはランボルギーニのエンブレムがフィットされている。Cピラーの装飾もじつに美しい。
時間は多少後戻りして1970年に戻る。そう、ランボルギーニのファンにとってもっともミステリアスな一台ともいえる「J(イオタ)」に触れなければならないからだ。
※写真はミウラSV-J
このモデルはランボルギーニがオフィシャルに認めたプロダクトではなく、同社のテストドライバーであり、またメカニックでもあったボブ・ウォレス氏が、通常の勤務時間外に自分の趣味として何人もの仲間とともに作り上げたもの。「J」とは当時のFIAスポーツカーレースJ項を意味しており、ウォレスの頭のなかには常にこのレギュレーションに沿ったクルマ作りを行うという意識があったのは確かだ。
完成したイオタは、1970年10月にランボルギーニからフェルッチオの一存でミラノのカスタマーにデリバリーされるが、そこからの時間は短かった。翌1971年4月、「J」はまだ供用される前のアウトストラーダで宙を舞い、全焼事故を起こしてしまったのである。