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給料は上がらず物価は高騰! 現代の国民車を考えてみたら昔よりも「グレードダウン」していた (1/2ページ)

給料は上がらず物価は高騰! 現代の国民車を考えてみたら昔よりも「グレードダウン」していた

この記事をまとめると

■1961年発売の初代トヨタ・パブリカは国民車育成要綱案を発端に開発された

■パブリカ以降、2008年くらいまでは国民車と呼べるようなクルマが多くあった

■当時の国民車育成要綱案をいまの時代に置き換えたらどうなるかを考えてみた

国民車は500cc以下で燃費30km/L以上で価格は25万円以下!?

「国民車」の定義は曖昧だが、1955年に通商産業省(現在の経済産業省)が、「国民車育成要綱案」を発表した。この内容は、乗車定員が4名のボディに排気量が350〜500ccのエンジンを搭載して、最高速度は時速100km以上、燃費性能は30km/L以上、価格は25万円以下というものだった。

 自動車工業会の理事会は、この性能を備えた車両を25万円以下で販売するのは不可能という結論を出した。したがって国民車育成要綱案はアイディアで終わったが、当時の自動車業界には刺激を与えた。1961年に発売されたコンパクトカーの初代トヨタ・パブリカは、国民車育成要綱案を発端に開発されていた。

 初代トヨタ・パブリカは、全長が3520mm、全幅は1415mmの2ドアセダンで、空冷水平対向2気筒697ccエンジンを搭載する。最高出力は28馬力(4300回転)、最大トルクは5.4kg-m(2800回転)とされ、車両重量は580kgと軽い。最高速度は時速110km/hで、平坦路における燃料消費率は24km/Lだ。

 つまり、国民車育成要綱案に近い内容だったが、価格はもっとも安価な仕様でも38万9000円になる。25万円以下の要綱案に比べると、13万9000円高く、比率に換算すれば1.6倍であった。

 それなら当時の国民車育成要綱案をいまの時代に置き換えたらどうなるか。初代パブリカの全長は3520mm、全幅は1415mmだから、いまなら軽自動車の3395mm・1475mmに近い。エンジン排気量も初代パブリカは697ccだから、660cc弱の軽自動車と同等だ。

 価格は初代パブリカが38万9000円(東京地区)で、これを大卒初任給をベースにいまの価値に置き換えると、何と564万円!に達する。1961年当時の大卒初任給は1万5700円と安かったからだ。国民車育成要綱案の25万円でも363万円だから、「国民車」といっても、いまでいえばトヨタハリアーなどの感覚であった。

 それが10年後の1971年には、大卒初任給が2.7倍の4万3000円に跳ね上がり、20年後の1981年は7.7倍の12万800円に達した。

 給与の上昇に伴って物価も高くなったが、クルマの値上げは少額だ。1971年に販売されていた2代目パブリカスタンダードは39万5000円(東京地区)で、初代とほぼ同じ。しかし、給与と物価は高まり、いまの価値に換算すると210万円だから、1961年頃の564万円に比べると大幅に求めやすくなっていた。

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