この記事をまとめると
■トヨタは1976年にフィリピンとインドネシアでそれぞれ「タマラウ」と「キジャン」を発売した
■平面プレスのボディパネルと鉄板剥き出しのインテリアがいま見ると滋味深い
■キジャンはその後も代重ねを続けて現在はMPVのキジャン・イノーバとして販売されている
約50年前にSUVではなくBUVを名乗って登場
子供のおもちゃ箱から出てきたような、あるいはブロック遊びで組み立てたような、そんなほのぼのとした佇まいのクルマ、じつはれっきとしたトヨタ製。というと「三丁目の夕陽」よろしく「昭和初期のトラックでしょ」と目を細める方もいらっしゃるかもしれません。
が、1976年生まれと、さほど昔のモデルでもありません。それにしては、ブリキ細工のようなボディ、チラ見えするラダーフレームなど、高度成長期の日本車とは思えないプアな見た目。それもそのはず、これはトヨタが発展途上国向けに現地生産していたBUV(ベーシック・ユーティリティ・ヴィークル:Basic Utility Vehicle)の始祖なのです。
BUVの概念は、1960年代の旧フランス領コートジボワールで生まれたとされています。当時、発展途上だった国では、大規模で精度の高い工業製品は夢のまた夢。工作機械にしてもミニマムだったことから、ごく簡単に作れて安価なクルマが求められていたのです。ちなみに、コートジボワールではシトロエン・アミのメカを流用したBUV「ベイビー・ブルース」なるクルマが、なんと1000台以上も作られたのだそうです。
なお、このクルマは当初シトロエンの許可なく製造されたそうですが、後になってシトロエンもBUVの有用性を認め、自らはFAFなるモデルをポルトガルやセネガルで生産。1981年まで継続され、総生産台数はそれでも1800台程度だったとか。
ベイビー・ブルースに目を付けたのは、なにもシトロエンだけではありませんでした。冒頭に登場したトヨタのキジャンもそのひとつで、スタートは1976年のフィリピンから。その名も「タマラオ」と名付けられ、意味はずばり「牛」。安価で、よく働くクルマとしてはピッタリかと。で、翌年になるとインドネシアでキジャンとして売られることに。
上述のとおりラダーフレームに、当時のカローラ用サスペンションが組み込まれ、1.2リッターの3K型エンジンを搭載したミニマムなパッケージング。
もちろん、ボディパネルをこしらえるプレス機なんて未導入ですから、鉄板を平面プレスして、インパネまで鉄板むき出しと、「三丁目の夕陽」といわれても仕方ない古臭さ(笑)。
ですが、いま見ればこれはこれで滋味深いというか、レトロテイストやミニマリズムすら漂い、「ちょっと欲しくなった」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。