この記事をまとめると
■当サイト執筆ライター陣にとって「自分にとってのクルマとは何か」を聞いた
■桃田さんにとって免許取得後の「クルマ」は仕事の一部
■2020年代以降は在りし日の「クルマ」に対する思いが蘇ってきている
雑誌で見たランボルギーニに心奪われた幼少期
1970年代のスーパーカーブームが始まる数年前、街の本屋で1冊の自動車雑誌を見た。目に焼き付いたのは、ランボルギーニ「ウラッコ」の姿だった。これをきっかけに、ランボルギーニへの興味が沸いていく。
その後、富士スピードウェイでのF1に横浜から電車とバスを乗り継いで観戦へ。前売り券は中学生以下、自由席1500円だったと記憶している。
こうして、筆者にとってのクルマは、幼少期に乗る”ウチのクルマ”を大きく飛び越えて、伊トリノのカロッツェリアや、英国のF1コンストラクターへと移行していった。
だが、普通免許を取得してからは、さまざまな観点で”クルマは仕事の一部”になっていく。こうした気持ちは、日米を拠点に世界を巡る生活を長年に渡り続けるうちに、どんどん深くなっていく。
そのなかで、2010年代になるとCASEという観点で、クルマと接する機会が一気に増えた。改めて説明すれば、C:通信によるコネクテッド、A:自動運転、S:シェアリングなどの新しいサービス、そしてE:電動化である。CASEでは、クルマという表現ではなく、「モビリティ」や「コモディティ」といった呼び方が一般化していく。
2020年代に入ると、筆者にとっての「クルマ」に対する気持ちが「原点回帰」するようになってきた。そう、「ウラッコ」の写真を見たあの頃のような、クルマに対する素朴な感情が優先するようになってきたのだ。
なぜ、そうなってきたのか?
ひとつは、人生の後期に入り、免許返納についても真剣に考えなければならなくなったからだろうか。いわゆる「終(つい)のクルマ」探しが始まったのかもしれない。また、グローバルで電動化、なかでもBEV(電気自動車)シフトが急加速することに対する、一種の「怯え」かもしれない。
けっして自動車産業界におけるBEV化を否定するものではないが、在りし日の「クルマ」に対する思いが蘇ってきて、「去るモノに対する寂しさ」を感じているのかもしれない。寂しいと思う気持ちが、怯えに結びついているのだろうか。
直近で、筆者は行政機関、地方自治体、自動車メーカー、自動車部品メーカー、IT関連企業、そしてエネルギー関連企業などと、「クルマ」を介した「将来の社会」について意見交換する機会が多い。そうしたなかで、筆者自身にとっての「クルマ」に対する気持ちの遍歴についても、包み隠さず話すように心がけている。
筆者個人として、これから「将来の社会」に対して貢献できることは極めて限られているだろう。
それでも、世界各地で実感してきたさまざまな「クルマとの出会い」を下地に、より多くの人々が楽しく暮らすことができる社会の構築にむけて、小さな一歩を刻んでいきたいと思う。