この記事をまとめると
■かつて国内の自動車メーカーは工場の横にテストコースを完備していた
■その後はサーキットでのテストや北海道にテストコースを作り車両開発行っていた
■最近の日本車は海外でも売れており、海外のコースなども使って車両開発を行っている
日本車のテストや開発をわざわざ海外で行うわけ
日本の自動車メーカー各社は、大規模な走行テストコースを国内に完備している。
一方で、海外にも走行テストコースを所有していたり、または海外の公道で走行テストを行う。海外での販売台数が多い日本の自動車メーカーとしては、販売する現地の気候や道路環境を踏まえて走行テストを行うのは当然だと言える。
そうした体制がしっかり整い始めたのは、1980年代から90年代にかけてだと思う。いわゆる、自動車産業のグローバル化が明確になってきた頃である。
そもそも、自動車メーカーのテストコースは、新車の最終組立工場に隣接していた。それが、エンジンの出力が上がったことで直線路での最高速度が上がり、また車体やサスペンションの性能向上によってコーナーリングスピードも上がる中で、従来のテストコースでは手狭になった。
さらに、雨天を想定した路面や悪路、そして輸出向け車両ではコンクリート路面や石畳などの路面での走行もテスト項目に加える必要が高まっていった。
1960年代に入ると、1962年に鈴鹿サーキット、1966年に富士スピードウェイが開業する。こうした日本のモータースポーツ創世記には、レースが量産車の技術開発に直結していた。まさに、レースは走る実験室であり、サーキットはテストコースだったと言える。
また、サーキット以外では、自動車高速試験場(現在の日本自動車研究所)の高速周回路が1964年に運用が始まる。谷田部テストコースである。
ここでは、トヨタが1966年に「トヨタ2000GT」を使い、さまざまなスピード世界記録を樹立し、国内外から大きな注目を浴びた。同試験場内には1969年にスキッドパッドを備えた総合試験場が完成している。
その後、1980年代以降になると日本の自動車メーカー各社が、北海道に大規模な自社テストコースを建設する。場所が北海道の内陸部に多い理由は、広大な敷地が確保でき、高速周回路やカントリーロードを含めた多様なコース設定ができること。さらに、極寒でのテストが可能であるからだ。
こうして国内でのテストコースは充実した内容になっていく一方で、前述のように海外での製造と販売が増加したことで、まずは北米、そして欧州、さらには中国における、いわゆる開発の「現地化」が必須となっていく。
そのため、日本の自動車メーカーは、海外でも自社テストコースを所有したり、または北欧の極寒地や、北米の極暑地での公道テスト、さらには再現することが難しいドイツのニュルブルクリンク(北コース)で走行テストを行っている。
近年はIT技術の発達により、クルマの開発ではシミュレーション技術が急速に発達してきたとはいえ、やはりクルマは実際に走らせることでしかわからない、人の五感への影響が少なくない。
そのため、テストコースにおけるリアルな走行テストは今後も継続されていくものと思われる。