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一時大流行した「歩行者天国」がいま減少している理由とは

一時大流行した「歩行者天国」がいま減少している理由とは

この記事をまとめると

■1960年代に交通事故の死亡者数が1万人を超えて「交通戦争」と呼ばれた時期があった

■歩行者天国が生まれた背景に交通事故の死者数増加防止や地域経済の活性化が目的にあった

■暴走事故や周辺迂回路の渋滞など課題が増え歩行者天国の数が減少した

そこらじゅうでやっていた歩行者天国、なぜ減った?

 歩行者天国は、1970年前後にはじまり、広がりを見せた。背景にあるのは、交通事故死者数の増加をひとつ挙げることができる。

 第二次世界大戦後の経済復興のため、トラックなど商用車の普及に次いで、1960年代以降は軽自動車に加え大衆車と呼ばれる5ナンバーの小型車も人々の手に渡るようになり、交通事故死者数は1万6000人を超えるようになり頂点に達した。こうした状況から、「交通戦争」という言葉さえ生まれた。これは、交通事故死者数が1万人を超えることによって、明治時代の日清戦争での戦死者数を上まわるような勢いとなったからである。

 歩行者天国が生まれたもうひとつの背景は、商店街など地域経済の活性化だ。消費者がクルマの往来を気にすることなく商店街をめぐることができたり、通常はクルマが通行する道路に休憩所を設けたりすることによって、買い物を安全にゆっくり楽しむことができるようになる。

 1970年代はまた、都市部を中心に大気汚染が広がり、クルマの排出ガス規制がはじまる時期とも重なる。クルマが通らない繁華街は、空気も清浄で、休日を快適に楽しむことができた。

 主に日曜日や、平日でも夕方の買い物の時間帯を中心に、歩行者天国は実施されてきた。

 一方、人が大勢集まることから、防犯上の課題も現れるようになった。通行止めであるはずの区域にクルマが侵入し、暴走するといった事件も起きている。

 ほかにも、クルマが通行止めとなることから、迂回するクルマによって迂回路で渋滞が起きたり、路線バスも迂回しなければならなかったりといった交通上の課題も生まれている。

 運営では、公共の道路を歩行者以外には閉鎖するうえで警察と協議が必要になり、手続きに手間がかかるなどといったことがあり、手間と効果との秤にかけられることもあるという。

 こうしたことから、大規模な歩行者天国は廃止される方向となった。

 欧州でも、クルマの通行を制限して歩行者がゆっくり街を散策できる環境がある。ただし、それを実施するため、商店へ品物を搬入する商用車の立ち入りが、早朝などに限るといった制約もあり、そうしたことを受け入れる関係者の理解が必要だ。この点は、商店のみならず、消費者も品切れの商品をあとから搬入することができなくなるため、不便を感じることがあるかもしれない。

 歩行者天国とは、すべてが天国のように快適なわけではなく、関わるすべての人がある程度の不便さも承知したうえで、安全にゆったり時間を過ごす価値観を共有できなければ成り立たないのである。

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