この記事をまとめると
■ランボルギーニからミウラが発売されることになったのはふたりのエンジニアの執念
■ミウラ・プロジェクトの原点にはローバー・ミニの存在があった
■ミウラのメカニズムを検証するといくつかのミニとの共通点を見出すことができる
スーパースポーツカーに興味がなかった創業者を動かすために
1963年に創業したランボルギーニは、創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニの意思により、スーパースポーツカーよりも、むしろ高性能で豪華なGT=グランドツーリスモを生産することを新型車開発のコンセプトとしていた。
それは最初のプロトタイプとして発表された350GTVのために、ジョット・ヴィッザリーニが開発したエンジンが、あまりにもスパルタンな特性であり、それをジャン・パオロ・ダラーラ、そしてパオロ・スタンツァーニという、まだ20代も半ばという若きエンジニアに、よりマイルドでGTのキャラクターに似合うエンジンに改良させる指示を、フェルッチオ自身が即座に出したという事実からも明らかである。
仮にそれがフェラーリのためのエンジンであったとするならば結果はどうなっていたのか。それを想像するのはきわめて難しい。
ダラーラもスタンツァーニも、ランボルギーニという新たな自動車メーカーで挑戦したかったのは、市販車の販売にも直接影響するモータースポーツだった。
だが、フェルッチオにはそれに進出する意思はなく、とりわけモータースポーツのために自由な社風があると信じてデ・トマソから移ってきたダラーラにとって、それは少なからずの不満を残していた。
どうすればフェルッチオを説得することができるのか。そのためにはまず彼にプレゼンテーションする材料を用意しなければならないと考えたのは、やはり自然な成り行きだった。