フェラーリもデ・トマソも眼中になし! 「ランボルギーニ・ミウラ」は「ミニ」が原点にあった (2/2ページ)

メカニズムで参考にしたのは日本でも人気の小型車だった

 当時、市場にはミッドシップスポーツはルネ・ボネ・ジェット、デ・トマソ・ヴァレルンガなどがあるのみだったが、モータースポーツの世界では、すでにミッドシップは珍しい設計ではなくなり始めていた。

 かつてダラーラ氏にインタビューしたとき、のちのミウラの原型ともなったV型12気筒エンジンを横置き搭載したベアシャシー(実際にはこのシャシーも生産型のそれとは大きくその構造は異なるが)を設計するのに、何か参考にした、あるいはライバルとして意識したモデルはあったのかどうかを尋ねたことがある。

 フェラーリはすでに1963年用のレーシングモデルとして「250LM」を完成していたし、そのライバルとしてはフォードの「GT」が、あるいは日本のホンダもコンパクトなV型12気筒エンジンをミッドシップしたF1マシン「RA271」を1964年には初参戦させているのだ。それらはダラーラにとっても気になる存在であったのは確かだろう。

 だが、ダラーラの答えは意外なものだった。「当時はどのモデルも気にはしていなかった。ミウラ・プロジェクトの原点にあったのは、ミニのパワートレインレイアウトで、それをそのまま流用するとパワーユニットの重心高があまりにも高くなるので、ミッションをエンジンの横に移動させて、ミッドシップスポーツの可能性を探ったもの。実際に「プロジェクト・ミニ」と呼ばれたそれは試作されることはなく、あくまでも机上の設計で終了してしまったものだったけれどね」

 そのコメントを受けて、あらためてミウラのメカニズムを検証すると、エンジンとミッションの潤滑システムが共用されていることなど、ミニとのいくつかの共通点を見出すこともできる。

 意外なところにあった原案からベアシャシー+V型12気筒エンジンの「TP400」を経て、「P400ミウラ」、「P400ミウラS」、「P400ミウラSV」へと進化を遂げた一連のミウラシリーズ。それはいまでももちろん、ランボルギーニファンのなかでは、絶対的な人気を持つヒストリックモデルにほかならない。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
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