当時の需要とミスマッチ! いまならヒットしていたかもしれない!?
そしてマツダは、第二次世界大戦前から3輪トラックを手掛け、戦後は3輪に加えて4輪トラックも製造している。1958年のロンパー、さらに1961年に登場したB1500は、ボンネットタイプのピックアップトラックであった。
このBシリーズが1965年に2代目にフルモデルチェンジされ、プロシードを名乗った。ピックアップトラックの需要が旺盛な北米でも販売されている。1973年には、プロシードのボディに13B型ロータリーエンジンを搭載するロータリーピックアップも北米でデビューした。最高出力は110馬力(SAEネット)とされ、前輪にディスクブレーキを採用するなど、ピックアップトラックにスポーティカーのメカニズムを組み合わせている。
そして、プロシードは1985年にフルモデルチェンジを実施する。この時点では国内で売られなかったが、SUVの人気上昇を受けて、コンパクトな後席を備えたプロシード4WDキャブプラスを国内で復活させた。さらに1991年には、ワゴンタイプのプロシードマービーが加わる。エンジンは、発売時点では直列4気筒2.6リッターを搭載しており、その後に2.5リッターに変更された。
プロシードマービーの一番の特徴はボディサイズだ。発売時点の数値は、全長が4950mm、全幅は1720mm、全高は1800mm、ホイールベース(前輪と後輪の間隔)は3000mmであった。全長は約5m、ホイールベースも3mに達するのに、全幅は1720mmと狭い。そのために大容量の室内空間を備えながら、意外に運転しやすかった。
2/3列目のシートを両方ともに格納すると、大人2名が快適に就寝できるほどの広い荷室になる。いまの感覚で捉えると、車中泊にピッタリなクルマであった。
そのために、実用指向ユーザーには注目されたが、当時はワイドボディのカッコ良さが人気を集める傾向も強かった。「キッチリと積んで就寝できる」ボディの細長いプロシードマービーは、雰囲気も地味で時期尚早の商品だった。マツダのブランドイメージがSUVに合わない事情もあり、売れ行きを伸ばせずに終わった。それでもこのクルマの優れた実用性は、いまでもハッキリと記憶に残っている。