計画どおり30台の限定発売だったら歴史が変わっていた!? 大成功した「ランボルギーニ・ミウラ」と「フェラーリ365GT4 BB」という2台のミッドシップスーパーカー (2/2ページ)

ランボルギーニを追って登場したフェラーリのV12ミッドシップ

 そのようなランボルギーニの成功劇を見ながら、フェラーリが最初のシリーズ生産されるミッドシップ12気筒となる、365GT4 BBをデビューさせたのは1973年のことだ。

 すでにこの頃、ランボルギーニは12気筒ミッドシップをミウラからカウンタックへと進化させ、そのエンジンの搭載方法も横置きから縦置きへと変更するという大規模な設計変更にも成功していた。

 対するフェラーリが選んだのは、それをミッドに縦置き搭載するために、V型12気筒エンジンのバンク角を180度まで開くこと。そして5速MTとデファレンシャルからなるパワーユニット一式の搭載方法にも見どころは多い。

 フェラーリの365GT4 BBが、ランボルギーニのミウラと共通していたのは、その販売計画が最初は実験車的な意味を込めて限定で行われる計画であったこと。1972年に決定されたその数字は、25台とも30台とも言われるが、1973年の販売時にはすでにそれを超えるオーダーがフェラーリのもとには届いていた。最終的にフェラーリが1976年までに生産した365GT4 BBの台数は387台。ちなみにこのBBシリーズは、後に「512BB」、「512BBi」と進化を遂げていく。

 もしもランボルギーニがミウラを、そしてフェラーリが365GTB4BBを、本当に30台ほどの限定車のまま生産を終了していたとしたら、その後のモデルはどのように進化を遂げていったのだろうか。それもまた大いに気になるところである。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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