この記事をまとめると
■ポルシェは第二次世界大戦後に軍用車としてヤークトワーゲンを開発した
■ヤークトワーゲンは356のエンジンを採用したポルシェ初の4WDモデルだった
■ドイツの軍用4WDはポルシェ・VW・アウディが絶妙に影響しあっていた
959の30年前にポルシェ初の4WDが誕生していた
フェルディナンド・ポルシェ博士がアドルフ・ヒトラーの国民車構想を受けて、後にフォルクスワーゲン・ビートルとなる大衆車を開発したのは有名。しかし、生産開始前にヒトラーのポーランド侵攻がきっかけで第二次世界大戦が勃発し、工場で作られたのは軍用車だったというストーリーもまた知られた話だ。
このとき生まれたのが、角張ったオープンボディのキューベルワーゲンや水陸両用のシュビムワーゲン。キューベルにはビートルと同じRRのほか、プロペラシャフトを前に伸ばした4WDもあり、シュビムは全車4WDだった。このドライブトレインとカブト虫のボディを組み合わせた、コマンデュールワーゲンという車種もあった。
しかし、ドイツは日本やイタリアともども大戦に敗れ、東西分裂となってしまう。このうち西ドイツは1955年、NATO加盟とともに再軍備が認められた。この過程で軍用車両の開発が進むのだが、そのなかに小型の4WDがあった。
そこに応募してきたメーカーのひとつが、356でスポーツカーメーカーとしての地位を築きつつあったポルシェだった。彼らはキューベルワーゲンをモダナイズしたような、356のエンジンを用いたオープンボディの4WDを作った。これがポルシェ初の4WDであるタイプ597、通称ヤークトワーゲンである。
ヤークトワーゲンは政府への納入価格が高かったなどの理由で採用されず、71台しか生産されなかったという。
代わりに採用されたのはアウトウニオンのDKWムンガ。DKWは戦前から、2ストロークエンジンを縦置きした前輪駆動の大衆車を生産しており、これをベースにキューベルトは逆に、プロペラシャフトをリヤに伸ばすことで4WD化したのだった。
興味深いのは、ムンガは1960年代末に生産を終えるものの、その後1970年代になって、エンジンを4ストロークに積み替えた進化型が、フォルクスワーゲン・イルティスとして復活したこと。しかもこの直後に登場し、WRCで大活躍したアウディ・クワトロは、このイルティスを参考にしたと言われている。
一方のヤークトワーゲンの後釜はしばらく現れなかったが、1980年代に登場した4WDスーパーカー959は成り立ちが似ているし、そこで培ったノウハウが、現在の911カレラ4やターボに息づいていることは、多くの人が認めるのではないだろうか。
つまり、アウディのクワトロとポルシェのカレラ4は、かつて軍への採用で争ったライバルの末裔と言える。それを理解したうえで2台持ちしていたら、ちょっとカッコいいかも。