かつて「交通戦争」と呼ばれた2度の暗黒時代があった! リアルな戦争よりも死亡者の多かった「日本の黒歴史」からの教訓とは (2/2ページ)

団塊世代の免許取得で運転者が未熟な運転者が爆増

 私事になるが、筆者はまさしく第一次交通戦争の頃に信号機のない横断歩道を渡っているときにクルマにはねられ、頭部を手術するほどの大怪我を負った経験がある。筆者の事故後、現場の横断歩道には信号機が設置されたと聞くが、このように信号機などが未整備なことで、子どもなどの交通弱者が被害者となる交通事故が目立っていたのも、第一次交通戦争の特徴だった。

「交通戦争」を解決すべくさまざまな対策がなされた結果、いったんは交通事故は減少傾向を見せた。前述した指数ベースでいえば、1975年の事故件数は66となり、死者数も64となった。それでも年間の交通事故による死者は1万人を超えていたが、昭和50年代の前半までは減少傾向を見せていた。

 順調に交通事故が減っていくと思っていたが、あるときから増加傾向に転じることになる。

 そのタイミングとなったのが1981年(昭和56年)。そこから交通事故は増え続けた。ピークとなったのは、2001年(平成13年)で、交通事故件数は94万7253件(指数132)となった。そして翌年から交通事故件数は減少しはじめ、ようやく2011年(平成23年)には指数が96となり第一次交通戦争を下まわった。

 一方、交通事故死者数については事故件数とは異なる動きを見せていた。1988年(昭和63年)に、13年ぶりに死者数が1万人を超えると、1992年(平成4年)まで増え続ける。1992年の交通事故死者数は1万1452人(指数68)となった。まさにバブル期には交通事故死者数も増えていたのだ。

 このような統計データから、昭和50年代後半から平成4年までを「第二次交通戦争」と呼ぶことが多い。

 さて、第二次交通戦争の要因としては、人口のボリュームゾーンである「団塊ジュニア」世代が運転免許を取得したことが指摘される。経験の浅いドライバーやライダーが急増したことが交通事故を増やしたというわけだ。

 ただし、前述したように交通事故件数は1992年以降も増え続けていたが死者数は減っていった。交通事故が増えても死者数が減少した理由として、クルマの衝突安全性能の向上や医療の進化などが挙げられる。原付バイクのヘルメット装着義務化、前席シートベルトの着用義務化といった対策も交通戦争の終結につながったといえるだろう。

 こうして歴史を振りかえってわかることは、一旦終息したようにみえた交通戦争であっても、それは永遠ではなく、ふたたび戦争状態といえるほど交通事故が増えてしまうこともあり得るということだ。

 冒頭で記したように、最近のクルマは先進運転支援システムが充実したことで交通事故が起きづらくはなっているが、ドライバーやライダーの意識次第では交通事故が増えてしまう可能性も秘めているといえる。とくに最近では電動キックボードなど特定小型原付にカテゴライズされる新しいモビリティも生まれており、交通事故の増加要因となることが心配されている。

 交通事故ゼロの実現に向けて、ますますユーザーの安全意識向上が必要な時代になっている、といえそうだ。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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スズキ・エブリイバン(DA17V・4型)/ホンダCBR1000RR-R FIREBLADE SP(SC82)
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モトブログを作ること
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