この記事をまとめると
■衝突被害軽減ブレーキなどの先進安全運転機能の普及により交通事故数は減っている
■かつて交通事故が多発していた頃には「交通戦争」という言葉が生まれた
■新しいモビリティの誕生次第では今後また「交通戦争」と呼ばれるような事態がおこらないとも限らない
クルマの増加とハイスピード化にインフラ整備が間に合わなかった
現在の自動車は、AEBS(衝突被害軽減ブレーキ)の普及などによって交通事故が起きづらくなっている。その進化と普及を前提に「交通死亡事故ゼロ」を企業としての目標に掲げている自動車メーカーも少なくない。
実際、2022年(令和4年)の交通事故死者数は2610人で、過去最小となっている。いわゆる人身事故の発生件数も30万1193件と減っている。
警察庁の発表している指数でいうと、交通事故死者数は16、人身事故の発生件数は42となる。この指数は1970年(昭和45年)を100としたもので、昭和の時代と比べて交通事故による死者数は6分の1程度に減っているということを意味している。
なぜ、1970年の数字が指数の基準になっているのだろうか。それを理解するには「交通戦争」という言葉が生まれた時代を振り返る必要があるだろう。
「交通戦争」という言葉が使われるようになったのは昭和30年代からといわれている。当時の交通事故死者数が日清戦争での戦死者に匹敵する数字だったことが理由となっている。
具体的には、日清戦争での戦死者は1万7282人(約2年間の合計)であり、1970年の1年間だけで1万6765人も交通事故で亡くなったのだから、リアルな戦争以上に人命が失われていたのが昭和の交通事故状況だった。
このように交通事故が増えていった昭和30〜40年代半ばまでの時期を「第一次交通戦争」と呼んでいる。そこで1970年の事故件数や死者数をピークにして、以降は減らすべしという目標とするために、同年の事故件数や死者数の指数100として、統計データが集められるようになった。
では、第一次交通戦争の主な要因とは何だったのだろうか。母数となる自動車の普及が事故を増やしていったのは間違いないが、さらに1964年の東京オリンピック開催に合わせて東名高速道路が整備されるなど自動車のハイスピード化が進んだことも死亡事故の増加に繋がったとされている。
また、横断歩道や信号機などの交通インフラが十分に整備されていない時代であったことも交通戦争と呼ばれる状況を生み出したといわれている。