この記事をまとめると
■弊誌ライター陣に個人的に思い入れのあるクルマをあげてもらった
■まるも亜希子さんの印象的なクルマはホンダのとあるモデルだった
■有名レーサーとの貴重な体験があって思い入れが強いと語ってくれた
初めて参戦するJoy耐のチームメイトはまさかの……
きっとその姿を見るたびに、偉大な笑顔とジャーナリストとしての使命を思い出すだろう、生涯忘れられない1台があります。それは、21世紀が始まってすぐの2001年に誕生した、初代シビック・ハイブリッド。トヨタのプリウスとともに、いち早く量産ハイブリッドカーのインサイトを世に送り出したHondaが、4ドアセダンのシビックにハイブリッドシステム「Honda IMA(インテグレーテッド・モーター・アシスト)」を搭載し、モーターアシストによる高効率で爽快な走りを実現したモデルです。
当時私はまだ、編集者として自動車業界に飛び込んで数年の若手で、これから始まっていくエコカー競争を興味津々で見ていたものでした。まさかその後、世界にたった1台しかない、この初代シビック・ハイブリッドのレーシングカーで耐久レースに参戦することになろうとは、夢にも思わずに……。
一方、モータースポーツのDNAが色濃く受け継がれているHondaの若手エンジニアたちは、ハイブリッドカーになってもそのDNAを捨てようとはしませんでした。むしろ、これから先のモータースポーツはきっと電動化の波がくると予見し、英国仕様の5速MTモデルをベースに、本田技術研究所(当時)の有志チームがコツコツとシビック・ハイブリッドのレーシングカーを作り上げていたのです。
ハイブリッドカーの燃費の良さを活かし、ターゲットとしたのは日本のアマチュア耐久レース最高峰として始まったばかりだった、ツインリンクもてぎ(現モビリティリゾートもてぎ)のEnjoy7時間耐久レース、通称Joy耐。私はそのJoy耐に初年度から参戦している、モータージャーナリストで結成したレーシングチーム「CLUB RACING」のマネージャーをしていました。
そして2004年夏。ついにそのJoy耐に初めてシビック・ハイブリッドが参戦することになり、なんとドライバー4人は、日本が誇る偉大なるレーシングドライバー、高橋国光さん。研究所有志チームから、関根和弘さん。モータースポーツに造詣の深いノンフィクション作家の中部博さん。そこになぜか、ジャーナリスト駆け出しの私、まるも亜希子が抜擢されたのでした。
ハイブリッド車として、世界で初めてのJAF公認レース参戦になることと、国さんが現役引退後初めてレースに参戦するということで、メディアから熱い注目が集まっていました。
練習走行で初めて恐る恐るドライブしてみた感想は、とても乗りやすいということ。市販車のハイブリッドカーは静かなのに、レーシングカーらしいサウンドチューニングが施されていて、とっても気分良く走ってくれます。とはいえ、バッテリーの重さと、モーターアシストをすぐに使い切ってしまい、1周ももたないことが仇となって、タイムは散々なものでした。