伝説の「国さん」とステアリングを共有したハイブリッドカー! あらゆる自動車に乗りまくっているプロが「超個人的に思い入れのあるクルマ」【まるも亜希子編】 (2/2ページ)

横転した車両を何とか修理して感動のゴール

 ベテランドライバーがドライブしても、参戦チーム最下位のラップタイム。レース初心者の私が乗るとますます遅いタイムでしたが、国さんはそんな私にもとても優しく、楽しむことが大事なのだと自らの行動で教えてくれていました。研究所の同世代のエンジニアたちも、少しでも国さんから学び、マシンを速くしようと真剣な表情。練習走行を終えては、あーでもないこーでもないと議論するのも刺激的で、チーム一丸となって目標に突き進む時間は、まさに遅れてきた青春でした。

 国さんをはじめチームメイトからの指導によって、ぐんぐんとタイムアップして予選で自己ベストを更新した私は、決勝に向けて「イケる」と自信を持つまでになっていました。

 そしてついに決勝レースがスタート。最後尾から出たシビック・ハイブリッドは、スタートドライバーの国さんの的確で神がかったドライブと、ライバルが続々と給油のためにピットインしていくなか、2時間以上も連続で走ることができる強みを活かし、いつの間にか総合2〜3位を走行。チームは明るい空気に満ち溢れていました。

 2番手の中部さんもさすがの走りで役目を果たし、いよいよ3番手で私がコースインしていきました。ドライバー交替の間に30位くらいまで下がるものの、このままいけば、練習の通りに走れば、表彰台だって夢じゃない。そんな気持ちで必死に走っていた私でしたが、その瞬間はいきなりやってきました。

 S字コーナー手前でリヤタイヤが滑り、体勢を崩したところに後続車が追突。私はその衝撃でグラベルまで弾き飛ばされ、真横を向いたままグラベルの深みにはまって横転。右頬のすぐ隣りで窓ガラスが粉々に砕け散り、後ろからシューシューと異音も聞こえてきました。早く脱出しなければと無我夢中で助手席側のドアを押し上げ、マシンから飛び降りて、コース脇に避難。痛々しい姿のマシンを前に呆然とするばかりでした。

「終わった……」私はチームのみんなに、国さんに、なんて謝ればいいのかもわからず、ただただ泣き崩れるばかりでした。でも、メカニックさんも最終ドライバーの関根さんも、まだ諦めてはいなかったのです。ものすごい勢いでピットでの修理がはじまり、なんとか走れるまでに直して、ガムテープだらけの姿で7時間のチェッカーを受けたのでした。

 せっかくのデビューレースを台無しにしてしまったのに、チームの誰ひとり、私を責める人はいませんでした。国さんも笑顔で、「また来年頑張ろうよ」と言ってくれたのが印象的でした。

 でも、みんなの心遣いに感謝する反面、私の中のショックと恐怖はなかなか消えず、もうレースは辞めようと考えました。身体は無傷でも、精神的後遺症はその後2年ほど引きずってしまったのです。それでも、翌年も翌々年も、チームは私をドライバーから外さず、温かく辛抱強く見守ってくれました。

 そして、ようやくタイムが元に戻った私に、かけてくれた言葉は「よく乗り越えたね」。チームのみんなは、私の心など全部お見通しで、きっと戻ってくると信じていてくれたのです。

 あれからはや、20年近くが経ちました。国さんは昨年、天に召されてしまいましたが、私のなかにはしっかりと国さんの笑顔が生きています。そして、チームが教えてくれたものを、今度は私が若い世代につないでいきたいと感じています。そんな、生涯の宝物をくれたこの初代シビック・ハイブリッドが、私にとっては今でも愛しくて仕方ない1台なのです。


まるも亜希子 MARUMO AKIKO

カーライフ・ジャーナリスト/2024-2025日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
MINIクロスオーバー/スズキ・ジムニー
趣味
サプライズ、読書、ホームパーティ、神社仏閣めぐり
好きな有名人
松田聖子、原田マハ、チョコレートプラネット

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