この記事をまとめると
■フィアット500の姉貴分となる「600e」が電気自動車として復活を果たした
■初代フィアット600は1955年から1969年までに260万台超を生産したヒット作だった
■新型600eのスタイリングは現行のフィアット500Xと似ており、使い勝手がよさそうだ
500に続いて電気自動車で復活の600
これまで何度となくウワサに流れては消えてきた新型フィアット600が近いうちにデビューする、と確信したのは6月真ん中になるちょっと前のことだった。たまたまチェックしにいったフィアットの公式YouTubeチャンネルに見たことあるようなちょっと違ってるようなナゾのクルマがチラと登場し、そのノーズにはっきり“600”と記されていたからだ。
動画の中ではナゾのクルマについての説明はひと言もなく、慌てて漁ったその動画に関連するプレスリリースには”Fiat 600e”の文字が2回出てきただけで、どんなクルマであるかについては触れず仕舞い。でも、車名の後に”e”とあるから500eの姉にあたるBEVであることは明白。それに世界をニコやかにした2代目フィアット500の誕生日が7月4日だから、もしやその日に発表されたりして……なんて思ったのだ。
まぁ前者は熱心なクルマ好きならわかっちゃいそうなものだし、後者はフィアット好き、チンクエチェントファンなら簡単に予想できちゃいそうなことだから、僕がえらそうに述べることでもないのだけど、とにもかくにも当の7月4日、2代目フィアット600が正式にデビューとなった。
皆さんもご存じのとおり、フィアット500の”500”をイタリア語読みするとチンクエチェント。同じように”600”をイタリア語読みするとセイチェント、だ。”新型”とか”2代目”とか記してるわけだから当然ながら”旧型”である”初代”が存在するわけだけど、じつはその初代セイチェントもチンクエチェント同様、フィアットの歴史を語るうえでは無視することのできない名車といえる1台だ。
チンクエチェントがあまりにも有名になりすぎて影に隠れちゃってる感はあるにはあるのだけど、1955年から1969年までの間に260万台を超える数が生産された、当時としては結構なヒット作でもあったのだ。
じつはこの初代セイチェント、皆さんがよく知ってるクラシック・チンクエチェントの先代、つまり”トポリーノ”と呼ばれてイタリアの人たちに親しまれた、初代フィアット500に代わる小型車として企画されたモデルだった。初代フィアット500は車体も小さかったし機敏によく走ったのだけど、ふたり乗りだったことから実用性はいまひとつ。ファミリーカーとして使う乗用車としては、大人4人が乗れるパッケージングが必要だった。
設計にあたったのは初代フィアット500の開発チームにいた、のちに天才と呼ばれることになるダンテ・ジアコーサ技師。彼はセイチェントを、フィアット初のモノコックボディとフィアット初のRRレイアウトを持つモデルとして設計した。初代フィアット500とほぼ同じ全長約3.2mという極めて短い全長の中に4人分の居住スペースを確保するため、当時の主流だったFRレイアウトではなく、あえてVWビートルやルノー4CV同様にRRレイアウトを採り、フロントシートを前方に配置してリヤシートのスペースを設けたわけだ。
ついでにいうならプロペラシャフトを持たせないことは軽量化や室内空間の確保にもつながるし、当時は信頼のおけなかった等速ジョイントを採用しないですむ、という考え方もRRレイアウトを採用した理由でもあった。なかなかにロジカルだったのである。