この記事をまとめると
■7ナンバーにまつわるエピソードを解説
■普通自動車(小型自動車)に7ナンバーがついていたことがある
■登録台数の多かった「品川」、「横浜」、「神戸」に割り当てられた
登録台数の多い地域だけに存在した「7ナンバー」
若いクルマ好きには信じがたいことかもしれませんが、昔は3ナンバーが5ナンバーに対してマウントをとっていた時期がありました。お察しの通り、バブル景気が華やかなりしころの風習です。もっとも、当時ナンバーとかいって「品川33」あたりのちょい古な輸入車をプレミアムな値付けで売っているクルマ屋もいますけどね。たしかに、3ナンバーの税金は高かったので、ごくたまには羨望のまなざしを受けることもあったかもしれませんが、たいていは「やっかみ半分」だったに違いありません。
そんな3ナンバー伝説に混じって、7ナンバーにまつわるエピソードがあることご存じでしょうか。税務署なみに詳しい方なら「7ナンバーは大昔の3輪自動車むけ分類番号だ」と即答するかもしれません。が、ほんの一時だけ、5ナンバー車に混じって普通自動車(小型自動車)に7ナンバーがついていたこともあるのです。そもそも、55とか33とか二けたの分類番号は1998年に希望ナンバー制度、いわゆる11-22(いい夫婦)とか11-88(いいパパ)なんてのが導入されるまで、30余年にわたって続いたもの。その間、交付数が多かったのは当然、庶民のための5ナンバー。すると、途中で55に割り当てられる番号に限界が発生、そこで大昔の3輪自動車(当時すでに生産されていませんでした)から7の分類番号をまわしてきたというわけ。
ただし、日本全国で5ナンバーの番号が不足していたわけではなく、登録台数の多い地域だけの措置であり、そのほかは5ナンバーで十分に間に合っていたのかと。で、その地域というのが「品川」「横浜」そして「神戸」と、なんだかバブル景気との相関関係がチラ見えするようなエリアが並んでいます。やっぱり「品川79」とか「横浜77」なんてのは押し出しが効いて女子大生からチヤホヤされたりしたのでしょうか。
※写真はイメージ
そこで、バブルの当時を知る「昔はイケてたであろう」アラ還ギャル、房代(仮名)さんに聞いてみました。
やっぱり品川の7ナンバーとか見たことあるんスか?
「あるあるー! ギロッポンのロアビルの駐車場とかァ」
ていうか、いまでもギロッポンて言うんスね。で、どんなクルマだったんでしょう?
「んー、覚えてねーな。つーか、白いクルマ、スーパーホワイトとか言うんだべ?」
あー、いわゆるハイソカー的なクルマだったんじゃないスか?
「んー、わかんね。アーシ、ベベンのベンとアーマーゲーくらいしか乗ったことねーし」
なるほど、メルセデス・ベンツとAMGっスね。そっちは3ナンバーですからね。でも、品川とか横浜、あるいは神戸ナンバーだったらギロッポンあたりじゃモテたりしたって噂なんですけどね。
「そうね、ダチク(足立区)ナンバーよりかは乗りやすかったかも。けど、そういうの喜ぶJD(女子大生)なんて、むしろカッペ(いなかっぺ)だったんじゃない。ほら、ギロッポン来るのに千代田線の乃木坂つかってる女なんて、だいたい取手あたりからエッチラオッチラやってきてるわけだし」
手厳しいっスね。とにかく、ナンバーで女性からチヤホヤされるケースは噂ほど多くはなかった、そういう結論でいいんスね。
「よくわらかんけど、アーシらはそういうことなかったわよ。チヤホヤしてる人たちがいたとしたら、本当の品川がどんなところか知らない山奥から出てきたばっかりで頬っぺた真っ赤っかな女じゃね」
いくらか偏った意見かもしれませんが、房代さんは生まれも育ちも南品川(青物横丁あたり)ですから、当時からリアルな品川を熟知しているわけで、「なにも品川なんて偉ぶるようなエリアじゃない」と品川ナンバーなにするものぞと示したかったのでしょう。
というわけで、歴史のはざまに咲いたあだ花のような「7ナンバー」。その実態は房代さん風に言えば「チヤホヤするものでもねーよ」ということになりそうです。