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「意外と遅い」「レビンのほうが人気」「色は赤黒」! いま「神車」扱いの「AE86」の当時をリアタイ世代が語る (2/2ページ)

「意外と遅い」「レビンのほうが人気」「色は赤黒」! いま「神車」扱いの「AE86」の当時をリアタイ世代が語る

この記事をまとめると

■AE86ことトヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ

■いまや伝説と化した名車だ

■AE86が新車で登場した時の印象を振り返る

トレノよりレビンの人気が高かった

 日本のモータリゼーション史に残る名車、AE86型トヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノが誕生したのは1983年5月。ドリフトなどのモータースポーツシーンではいまだ現役で活躍しているが、デビューから40年が経った立派な旧車だ。

 それほど歴史を重ねてきたモデルだけに神格化されている部分もあるが、はたして新車で販売されていた時期の評価はどうだったのか。齢54歳、リアルタイムにAE86の盛り上がっていく様子見ていた筆者にとって、AE86に関する最初の記憶は「リーズナブルなFR車」というものだった。

 筆者が運転免許を取得してクルマ遊びを楽しんでいた1980〜90年代のバブル期におけるAE86の評価は50万円以下で買えるクルマだったからだ。

 ボロボロのAE86を入手して、スプレー缶で自家塗装するなんていうオーナーも少なくなかったし、クラッシュしてしまったときには”箱変え”といって古いボディを捨てて、エンジンやリヤアクスルなどチューニングしたパーツを移植するといった手法もあったほど。ある意味、使い捨て感覚のスポーツカーだったのだ。

 また、AE86といえば『頭文字D』の影響から白黒2トーンカラーのスプリンタートレノ、通称「パンダトレノ」が人気の中心という印象もあるかもしれないが、それ以前の時代においてもパンダトレノの人気が圧倒的だったかといえば、そうした印象は薄い。

 たしかにリトラクタブルヘッドライトのトレノを支持する声もあったが、ユーザーの多くは固定ヘッドライトのレビンを選んでいた。また、ボディカラーについても広告などの訴求色は赤黒2トーンであることが多く、白黒より赤黒のほうが人気があったと記憶している。

 個人的に憧れたのは、モデル後期に登場した黒ベースにゴールドのアクセントを入れた”ブラックリミテッド”だった。

 レビン、トレノともにボディ形状は2ドアと3ドアが設定されていたが、一部のモータースポーツユースを除くと後者が人気だった。じつは1.6リッターエンジンを積んだAE86のなかでもグレードによってリヤブレーキがドラム式である場合とディスク式を採用しているものがあり、当然ながら人気を集めたのは後者のグレード。上級グレードのデジタルメーターも憧れの装備というのが1990年代前半までの空気感だった。

 さらに言えば、当時のAE86についてはけっして速いという印象を持っている人は多くなかった。

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