「DB8」の車名はミッドシップスポーツに与えられるはずだった!?
そして、DBSが生産を中止した1973年から数えること20年の月日がたち、ようやくDB7が登場。フォードの傘下だったとはいえ、デイヴィッド・ブラウン卿(この当時はイギリス工業界での功績が認められ、一代限りのナイトの称号「Sir」が与えられていました)が名誉会長として復帰するなど喜んだのは筆者だけではないでしょう。
ちなみに、後期型DB7ヴァンテージに搭載された12気筒エンジンは「大きく、重い」とされることが少なくありませんが、最晩年を迎えていたブラウン卿(1993年没)によれば、「DBのエンジンはこれくらい速くないと」とまあまあ評価していたようです。
で、DB7に続いて2003年に登場したのが「DB9」ということで、果たしてDB8はどこへ姿をくらましたのでしょう。この「8」が飛ばされたのは諸説あって、とりわけ「V8エンジン搭載と勘違いされるから」というのが有名。
ですが、どうやらこれガセっぽいです。というのも、アストンマーティンは1990年代末期にミッドシップスポーツを計画していた節があり、これにはイアン・カラムやヘンリック・フィスカーといったDB7やDB9のデザイナーたちがそれとなく匂わせていました。実際、フィスカーは2009年にVLFというドイツのメーカー向けにミッドシップスポーツのパッケージを提供しており、暗に「アストンマーティンで使わなくなったアイディア」みたいなことをほのめかしています。
つまり、DB8の名は幻に終わったアストンマーティン初のミッドシップスポーツカーに名付けられた、と考えるのが夢もあってよさそうな気がするのですがいかがでしょう。
で、DB9の次はこれまた10が飛ばされて「DB11」が市販されました。が、この理由はさほどミステリーなわけでなく、映画「スペクター」にボンドカーとして「DB10」が登場したからにほかなりません。
従来、007ムービーに登場するアストンマーティンは秘密兵器が搭載されこそすれ、市販モデルというのがお約束でした。一方このDB10は、アストンマーティンと製作元のイオン・プロダクションの50年にわたる結びつきを祝ったクルマ。初の映画専用モデルということですが、一応4.7リッターのV8エンジンを搭載した走行可能モデルもあるようです。10台が製作され、そのうち撮影でなくプロモーションに使われた1台がクリスティーズ・オークションに出品された際は243万4500ポンド(約3億9370万円)というビックリ落札価格となりました。
ところで、前述のとおりDBの最新モデルは「DB12」でありますが、次のモデルは「DB14」になるような気がしてなりません。お察しのとおり、13は欧米で不吉な数字。さらに、「13気筒エンジン積んでると思われても困る!」みたいな懸念だってあるかもしれません。庶民的な興味ですが、ぜひ行く末を見守りたいものです。