1963年、のちに世界一有名なクルマとなるDB5が誕生
1958年にロンドンショーで発表された「DB4」は、現在でもエンスージアストからの人気が高いモデルだ。かつてミラノに存在したカロッツェリア・ツーリングが特許を持っていた軽量ボディ構造、スーパーレッジェーラを採用し、3.7リッターの直列6気筒DOHCエンジンを搭載したDB4は、1963年までに1100台以上が生産され、さらにその高性能版たる「DB4 GT」も1959年から1963年まで製作されている。
ちなみにこのDB4 GTをベースにザガートが独自の軽量ボディを組み合わせた19台のスペシャルモデルが、「DB4 GTザガート」にほかならない。
DB4の後継車はもちろん「DB5」で、こちらは1963年から1965年まで生産された。外観はDB4とほとんど変わらないように見えるが、エンジンはそれまでのDB4 GTが3.7リッターであったのに対して4リッターにまで拡大。1964年には高性能版のヴァンテージも追加設定されている。
1965年にはさらに進化型の「DB6」が誕生するが、その外観はこれもまたDB4の最終型から大きく変わることはなかった。実際にはホイールベースの延長やエアロダイナミクスの向上を意識した改良作業は多くの部分にわたり、ヴァンテージ仕様では最高出力も325馬力を掲げるに至っている。オープンモデルにヴォランテの名称が与えられたのも、このDB6が最初のこととなる。
1970年代に入ると、再び経営状態が悪化の兆しを見せ始めたアストマーティン。そのようななかでデビット・ブラウンは1972年に同社の経営権を譲渡。当時、アストンマーティンはDB6に代わるモデルとしてV型8気筒エンジンを搭載した「DBS」を市場に投じる予定だったが、その開発にも遅れが生じ、DBSはまず直列6気筒エンジンを搭載してのスタートとなった。DBSにV型8気筒モデルが追加されたのは1970年のこと。デビッド・ブラウンはぎりぎりその誕生を、会長として見ることができたのだ。
このDB6から「DB7」の登場までに流れた時間の長さは、まだ記憶に新しいところだろう。1987年、アストンマーティンはフォードの傘下に収まり、このときにデビッド・ブラウンは再び役員として招致されたのである。実際にDB7がデビューしたのは1994年のこと。
それから2004年には「DB9」が、また2016年には「DB11」が誕生することになる。
駆け足で振り返ってきたDBの系譜、それはかくも長く、そして華やかなものではないか。