機械のほうが精度が高そうだけどなぜ現代でも「手組みエンジン」が重宝される? そこにある合理的な理由とは (2/2ページ)

手組みすることでコストを抑えられる場合もある

 ただし、それだけが手組みエンジンが存在している価値ではないだろう。経済合理性でいってもスポーツカーなどの高性能エンジンは手組みにすることに意味がある。

 このように書くと「手組みは労働コストがかかるし、量産性もよいとはいえないのだから経済合理性とは真逆の生産方法だ」と思うかもしれない。

 よく考えてみてほしい。GRの3気筒ターボエンジン、GT-RのV6ツインターボエンジンは年間で何基作る計画だろうか。そもそもの計画がメーカーにとっては少量であることは間違いない。生産現場においては、そうしたイレギュラーなエンジンを通常のラインに流すよりは、別のラインを用意したほうが合理的といえるのだ。

 仮に、従来のエンジンよりクリアランスの基準を厳しくしたとしても、現在の技術であれば機械の精度を上げていくことは可能だろう。ただし、一部のエンジンのためだけに生産設備のコストを上げてしまうのはナンセンスだ。

 小規模な生産ラインについてはオートメーション化するよりも、数名の匠を鍛えて職人技を磨いたほうが結果的にコストを抑えることが期待できる。

 手組みエンジンというと、いかにも高性能を追求するためだけに選ばれた製法と感じてしまうし、それは事実であるのだが、だからといって企業がコストを無視して採用しているわけではなく、ある種の経済合理性から選ばれているともいえる。

 必要最低限のコストで、最大のパフォーマンスを生み出しているという意味では、メーカーとオーナーにとってWin-Winの関係といえるのが手組みエンジンなのかもしれない。

 なお、手組みというのはエンジン製造において組み立てに関する手法であって、設計どおりの性能を引き出すためには各部品の精度を高めておくことも重要といえる。重量バランスが崩れていたり、形状の精度が悪かったりする部品しかなかったら、いくら熟練工が手組みしてもパフォーマンスは上がらないことは、メーカーや生産現場は百も承知であろう。

 手組みエンジンという響きには、そうした点においても配慮していることを期待させる効果もある。そのためにプロモーションとしても活用されることも多いのだろう。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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