この記事をまとめると
■1950年代、シボレーは単一車種で年間約150万台を販売していた
■とくに1955・56・57年式ベルエアは「トライ・シェビー」と呼ばれる特別な存在
■ファッションアイコンである「バービー」は1957年式ベルエアを愛車としていた
フィフティーズファンにとって1955・56・57は特別
1955年型177万5952台、1956年型162万3376台、1957年型155万5316台……、ひと桁どころかふた桁くらい間違ってないか、と思ってしまうが、これ、シボレーの乗用車の年間生産台数なのだ。
当時のシボレーの乗用車は基本的に単一車種で、トリムレベル(装備内容)によって、廉価版の150(ワンフィフティ)、スタンダードな210(ツーテン)、そして上級のベルエアという3グレード体制をとっており、ボディ形状は2/4ドアセダン、2ドアHT、4ドアHT(1956、1957年型のみ)、2/4ドアワゴン、さらに2ドアスポーツワゴンが用意されていたが、それにしてもとんでもない台数である。
マークII三兄弟やクラウンが飛ぶように売れた1990年前後だって、日本では単一車種の1万台超えがビッグニュースになったくらいで、年間で10万台超えなら“爆発的に売れた”と表現してもどこからもクレームなんて来なかったはず。それが、CDじゃなくてクルマの販売でミリオン(100万)ヒットというのだからアメリカ恐るべしである。
1955年と言えば、日本ではようやくトヨタが他国のノックダウン生産などに頼らず、“自製の”クラウンを発売した年で、マイカーなんて夢のまた夢、高嶺の花そのもの、そんな時代だった。
ちなみに1955年から1957年にまで亘る3カ年に生産されたシボレーを称して、アメリカの自動車ファンや日本のアメリカ車ファンは“トライ・シェビー(3カ年のシボレー)”あるいは“トライ・ファイブ(3つの50年代)”と呼んで特別なものとして位置づけている。
なぜに特別かといえば、少なくとも、ここ40年ほど、当該年式のシボレーを愛する人々の皮膚感覚で言えば、カッコいいというのが一番の理由だ。
よく、現在の人気の理由を“当時爆発的に売れたから”と表現する記事も目にするが、それは約70年前の事実としては間違いないが、数量だけで言ったらほかにも近似した台数を売ったアメリカ車も多数存在し、実際に1954年型のシボレーだって141万4352台も生産しているのだ。