この記事をまとめると
■アルファロメオの戦後に登場した歴代オープンモデルを紹介
■50年代から60年代にかけてピニンファリーナがデザインを手がけたモデルが多数存在する
■90年代以降はスポーツカーにもオープンモデルが存在するようになった
イタリアの美意識を感じさせる歴代オープンモデルを一気に紹介
スポーツカーやスポーツセダンを数多く世に送り出してきたアルファロメオ。それぞれに個性的で魅力あふれるモデルが多いのですが、同社が発売してきたオープンカーも同様。なにより美しいスタイルを備えることでクルマ好きの心を鷲掴みしてきました。
今回はアルファロメオが手がけてきたオープンカーを紹介していきます。なお、今テーマでは第二次世界大戦後にデビューした量産車のなかから9台をピックアップしました。
ジュリエッタ・スパイダー(1955年)
戦前、レースカーの製造が主だったアルファロメオにとって、量産車メーカーと認識されるようになったのはジュリエッタがあったからこそ。同社の量産車で成功を収めた最初のモデルとなりました。
ジュリエッタはレーシングカーに積まれてもおかしくないアルミを多用した1.3リッター直4DOHCエンジンを搭載したクーペのスプリントが最初に登場。その後、セダンのベルリーナ、そして1955年にホイールベースを短縮し、2シーターオープン化したスパイダーが追加されました。
スパイダーのデザインはピニンファリーナが担当。1956年にはハイスペックモデルのジュリエッタ・スパイダーベローチェを追加。標準モデルが最高出力65馬力だったことに対して、ベローチェは90馬力まで出力が高められています。
2000(1960年)、2600(1962年)
第二次大戦後、1950年に初の量産車としてデビューした1900をベースにホイールベースを延長。エンジンの排気量を拡大し、ひとクラス上のモデルとして登場したモデルが2000です。2000はセダンのベルリーナが登場し、1960年にクーペのスプリント、そしてオープンモデルのスパイダーが追加されています。
クーペのスプリントはベルトーネが担当し個性的な4灯ヘッドライトのフェイスを与えられましたが、スパイダーのデザインを担当したのはピニンファリーナ。スプリントとは異なり、2灯ヘッドライトでエレガントなフォルムを備えました。
2000シリーズは1962年に2600シリーズへとモデルチェンジ。とはいえ、ボディは2000シリーズそのままでエンジンのみを変更。スパイダーもベルリーナ、スプリントとともにラインアップされています。
ジュリア・スパイダー(1962年)
ジュリエッタの後継モデル(※デビュー当時はジュリエッタの上級モデルとして登場)、ジュリアが登場したのが1962年。ジュリアには個性的なボクシースタイルを身につけデビューしたセダンをはじめ、クーペ、レーシングモデルなど多彩なモデルが登場しましたが、オープンモデルのスパイダーはジュリエッタのボディが流用されています。
名前こそジュリエッタからジュリアへと変更されていますが、デザインで異なるのはボンネットにエアスクープを設けたこと。
これはジュリアのセダンTIに搭載された1.6リッター直4エンジンを収めるためで、外観からジュリエッタ・スパイダーとの違いはマニアでないと判別するのは難しいと思われます。
暫定的なモデルだったせいか、ジュリア・スパイダーの生産は1964年で終了。わずか2年あまりで生産が終了したため、生産台数は少なく、いまでは希少なモデルとなっています。
スパイダー1600(1966年)
先程紹介したジュリア・スパイダーの後継モデルとして登場したのがスパイダー1600。ファンの間では「デュエット」と呼ばれていますが、これはデビュー前、アルファロメオが同車のデビュー告知キャンペーンの一貫として愛称を公募。その結果、「デュエット」との愛称を与えられたことによります。
スパイダー1600のフォルムは、ジュリア・スパイダー、ジュリエッタ・スパイダーと長年続いたデザインから一新。ピニンファリーナが手がけたエクステリアデザインは、エレガントなテイストを受け継ぎつつスポーティさが強調されました。
同車は1967年にエンジンの排気量を拡大した1750スパイダー・ヴェローチェへと進化するなど改良を続けていき、最終的には2リッターエンジンを搭載しました。