「青山ゼロヨン」が行われていたことも!
それが大きく変わり始めたのは1964年の東京オリンピック開催に向けて、東名高速道路の建設や東急グループによる田園都市線周辺の開発が進められるようになったことから。住宅がどんどん増え、じわじわとマイカーブームも盛り上がり始めて交通量も増していきます。そして1965年の道路法改正により、国道の一級・二級区分が廃止となり、一般国道246号線に指定されました。
こうして急速に整備が進み、立派な国道へと進展を遂げていったニーヨンロクですが、クルマ好きの間ではすでに伝説となっているのが、1970年代から1980年くらいまで熱かったという通称「青山ゼロヨン」。ゼロヨンとは0-400mを速く走ったクルマが勝つという単純ですが違法な公道レースで、青山通りの信号機から信号機の間隔がだいたい400mだったことから、深夜になると赤信号の前に2台がスッと並び、青になると同時にロケットダッシュをして次の信号までを駆け抜けていくというもの。筆者は実際には見たことがなく、いくつかの証言をもとにその様子を再現していますが、歩道橋の上から見物するギャラリーもたくさんいたのだとか。高級スーパーカーから国産ターボ軍団まで数々の速さ自慢が参戦(?)しており、ポルシェ911RSやポンティアック・トランザム、デ・トマソ・パンテーラといった負け知らずの名物スーパーカーも出てきたといいます。
だんだんと住民などの苦情が激しくなり、一斉検挙が行われてからは一気に下火になったようですが、今では信じられない話ですね。その名残りもあるのか、国道246号線沿いには輸入車ディーラーやショップ、チューニング&ドレスアップガレージなども多く店舗を構えているので、クルマ好きにとっては今も親しみを感じる道かもしれません。