この記事をまとめると
■1960年代、イギリスには多くのオープンスポーツカーメーカーが存在していた
■トライアンフもそのひとつで、エントリーモデルとしてスピットファイアを開発
■ミケロッティによる流麗なスタイリングを持つライトウェイトスポーツカーであった
1970年代のイギリスを代表するライトウェイトオープンスポーツ
チャーミングなオープン2シーターを作らせたら、やっぱりイギリスの右に出る国はありません。とりわけ1960年代には数多くの魅力的なモデルが登場し、ヨーロッパや北米、あるいは日本へと大量に輸出されるなど、世界的な人気を博していました。ロータスやMG、はたまたいまやバイクで有名なトライアンフなど、メイクスの名を上げたら枚挙にいとまがありません。今回は、そのトライアンフが通算30万台以上生産した大ヒットモデル「スピットファイア」をご紹介しましょう。
スピットファイアというネーミング、じつは第二次大戦中に2万3000機あまりが作られたイギリス製の戦闘機がその由来です。ロールスロイスのエンジンを搭載し、1940年のバトル・オブ・ブリテンではドイツ軍をこっぴどく撃退するなど、いわば英国の誇りかのようなモデル。また、そもそも英語の意味合いとしては「感情的・気まぐれな少女、女性」とされ、空を舞う飛行機野郎には特別な意味があったのかもしれません。とにかく、イギリス国民にウケるネーミングだったことは確かであり、優良マーケットだった北米でもキャッチーで親しみやすかったことは、販売台数の多さでも証明されているかと。
トライアンフはお世辞にも大メーカーではなかったのですが、スピットファイア以前にもTR1~8といったオープン2シーターのライトウェイトスポーツカーや、戦前にはグロリア、ドロマイトといったスマッシュヒットを量産。庶民の手が出やすい価格のわりに、モダンでスタイリッシュなクルマという評判だったようです。
1959年に登場したヘラルドという2ドアサルーンも、Xボーンフレームを使ったシャシーにミケロッティがデザインした瀟洒なボディを架装、そして当時としては刷新的な1147cc直列4気筒OHVエンジンを搭載するなど、これまた大ヒットモデルとなったのです。
これに気をよくした首脳陣は、当時スポーツカーのトップレンジだったTR4(2138cc、直列4気筒)の弟分を作ることで、さらなる顧客の拡大を目論んだのでした。
たしかに量産しているヘラルドのシャシーやエンジンを流用すれば、廉価で性能もそこそこなモデルが作れることは明らか。すぐさまミケロッティにデザインの依頼をして、1960年にはプロトタイプが仕上がりました。