まるでなかったかのようにレパードの路線はもとに戻された
とはいえJ.フェリーの高級車志向はホンモノで、オプションではあったものの、イタリアのポルトローナ・フラウ製の本革シートを設定したり(オプション代はおよそ80万円!)、インパネにはウォールナット本木目を使用したりとかなりのもの。
さらに、心臓部にはインフィニティJ30と同様のV型6気筒3リッターのVG30DE型のほか、シーマにも搭載されていた(J30には搭載されなかった)V型8気筒4.1リッターのVH41DE型エンジンも搭載されていたのだった。
そのため、価格はセドリック/グロリア以上シーマ未満となっており、価格帯だけみれば確かに先代レパードの穴を埋める存在となっていたのは確かだった。
キャラクター的にもボディ形状こそ4ドアセダンとなったものの、後部座席にVIPを載せるというよりはオーナー自らステアリングを握るパーソナルなスペシャリティセダンとなっていたのだが、やはり北米を強く意識したデザインは如何ともし難く、日本での販売台数は7000台ほどに留まっている。
北米では比較的好意的に迎え入れられ、販売台数も日本のおよそ10倍となる7万台ほどが販売され、その後は後継車種のインフィニティ I(日本名:セフィーロ)へとバトンタッチ。
一方、日本では再び「レパード」に車名を戻し、ほぼY33型セドリック/グロリアの兄弟車として再起を狙い、1997年にはセドリック/グロリアを差し置いて日産初の直噴エンジンのVQ30DD型エンジンを搭載するなどしたが、1999年6月にY34型セドリック/グロリアに統合する形でレパードの歴史に幕を閉じることとなった。