ル・マン24時間やモンテカルロラリーなど競技でも活躍
ところが、ブッツィのデザインワークに対し、デザイン専門誌が「心動かされない」といった批評を載せたことで事態は一変。一部の自動車専門誌もこれに迎合し、心無い大衆もまた「プアマンズポルシェ」などとせせら笑うようなことに。
ですが、914はさすがドリームチームの作品だけあって、デビューイヤーにエントリー(914/6)したル・マン24時間レースで総合6位、2リッタークラス優勝、ル・マンで価値のある性能指数賞では2位をゲット。また、ラリー大好きなポルシェですから、当然のようにモンテカルロ・ラリーにもワークス参戦。
その後は、ラリーポルシェの雄、アルメラスに任せられてミッドシップらしい活躍を見せています。985kgという軽量な車体に110馬力ですから、さほどパワフルというわけでもないのにレースで強いというのは、走りの資質が非常に高いということにほかなりません。
加えて、1973年にマイナーチェンジ的に登場した914 2.0に搭載されたフォルクスワーゲン製フラット4エンジンは、メッツガーが生涯で2番目に傑作だと自信を持つもの。独自のスープアップでポルシェ製2リッターフラット6に劣らないパワー(100馬力)を発揮しつつ、エンジン重量の軽減を実現しているのです。
その後も、914にはバリエーションが加わり、911Sや911RSのフラットシックスが搭載された916や、レーシングカーの908で用いた3リッターフラットエイトを積んだ914-8といった限定車ながらじつにポルシェらしい進化を遂げています。
とりわけ916は11台の限定車だったためか、オーバーフェンダーやファットなホイールを模したカスタムが流行り、相当な数の914が916ルックとなったようです。生みの親のひとり、ボット教授はそうしたアメリカの流行に目を細めて喜んでいたといわれています。
ともあれ、ポルシェがもくろんだエントリーモデルという役割を十分に果たした914は1976年まで生産され、911より一桁多い生産台数を記録(6年間で11万台余り)しています。いうまでもなくポルシェにとって史上初の快挙。フォルクスワーゲンとの関係悪化がなければ、あるいは1973年のオイルショックがなかったとしたら、914はさらなる進化を遂げていたかもしれません。つまり、ボクスターを待つことなく、もっと早い時期にミッドシップスポーツカーが生まれていた可能性があるということ。
いまさらいっても詮無いことですが、フォルクスワーゲンがもうちょっと大人な対応をしていたら、914はもっと偉大な存在になっていたこと間違いありません。
もっとも、914の次に提携した924(フォルクスワーゲン製直列4気筒を搭載)も幸せに満ちた生涯とは言えなかったので、そもそもフォルクスワーゲンとポルシェの相性はよろしくないのかもしれません。いまでこそフォルクスワーゲングループに加わったポルシェですが、こうした歴史を振り返ると現在の蜜月も安泰とは言い切れないのかもしれません。