この記事をまとめると
■1982年に光岡自動車が販売した「BUBU501」はアメリカでZOEジッパーとして販売されていた
■ハードトップとソフトトップの2ボディを揃えるも販売は鳴かず飛ばずだった
■クイズ番組の景品となったことで「かわいい」と評判となり、いまでは高値で取り引きされている
オークションでは100万円以上の値がつくことも珍しくない
まったく、マイクロカーの人気はどこまで根強く浸透しているのでしょう。このZOEジッパーとアメリカで名付けられたひとり乗りマイクロカーも、100万円を大きく超える「まあまあ高値」で取り引きされています。
そもそも、ZOEジッパーといわれてもピンとこないかもしれませんが、BUBU光岡の「ゼロハンカー」といえば、かなりの方が思い出せるはず。日本で10番目の自動車メーカーとして、同社が1982年にリリースした「BUBU501」はホンダ製50cc、バイク用エンジンを搭載したマイクロカーだったのです。昔懐かしいテトラパック牛乳のパッケージみたいなボディはFRPで出来ており、ドアは左側にしかついていません。
また、スクーター用の駆動システム(CVT)を流用している手前、バックギヤは装備していません。後退したい場合はリヤの駆動輪に直接モーターギヤを当ててギュルギュルと回転させるというアレック・イシゴニスも驚くようなアイディアが用いられています。
それでも、最高速は35km/hほどは出せるようで、発売当初は農村や郊外で暮らすじいちゃん、ばあちゃんに重宝されたとか。また、オーナーによれば、ブレーキが絶望的に利かないらしく、下り坂でスピードが乗るのはすなわち「死の恐怖」なんだそうです。が、サイドブレーキと前述のバックモーターを併用してスピードを落とすのがデフォルトだと、さすがはオーナーらしく涼しい顔で流していました。
また、恐怖といえばフロント2輪によるハンドリングもスリリングだそうで、設計が至らないのかちょっとオーバースピードでコーナリングするだけで横転しちゃうとのこと。これが左側に倒れてしまうと、唯一のドアが開かなくなるわけですから、脱出不可能(笑)。ほのぼのとした見た目に反して、かなりワイルドな乗り物のようです。