この記事をまとめると
■スーパーカーには数々の逸話や都市伝説がつきものだ
■スーパーカーブームの頃はメーカーが発表した公称値の最高速度を疑うものはいなかった
■フェラーリを超えるモデル製作のためにアウトモビリ・ランボルギーニは設立されたというのは脚色だ
ランボルギーニはフェラーリに対抗して創業されたのではない
スーパーカーメーカーが残した歴史にはさまざまな逸話がある。そのなかにはもちろん正確な史実に基づくものもあるのだが、長い歴史のなかで、そのストーリー性を高めるためか、実際の話からはかなり脚色されたものがあるのも事実だ。
ほかのコラムでも触れた、フェラーリ365GT4BBとランボルギーニ・カウンタックLP400による熾烈な最高速戦争、302km/hと300km/hというわずか2km/hの差でのフェラーリの勝利はその象徴的な例で、それでも当時はその斬新で流麗なボディデザインと、高性能なV型12気筒というエンジンをミッドに搭載していたという事実だけで、この数字に疑いを持つ者はいなかったのだ。
300km/h、それは夢の最高速だった。現在ではそれは、わずかなスーパーカー、いやハイパーカーがすでに壁を破った400km/h、あるいはいつかは超えられるのであろう500km/hの壁と同じくらいの意味を持つ。
フェルッチオ・ランボルギーニが自身の所有するフェラーリのコンディションが思わしくなく、エンツォ・フェラーリに手紙を書くも、一向に返事が届かない。それに激高したフェルッチオが、自らフェラーリを超えるモデルを作るために、アウトモビリ・ランボルギーニ社を設立したのだという逸話も、現実には程遠いものだと、当時フェルッチオの周囲でビジネスに関わっていた人物に、実際にイタリアでインタビューして確信することができた。
アウトモビリを設立する前のフェルッチオは、農業用トラクターの生産を行うランボルギーニ・トラットリーチを1949年に、さらに家庭用、および工業用ボイラーを生産するランボルギーニ・ブルチアトーリを1960年に設立、すでに巨額の富を得ていた。
そしてさらにそのビジネスを拡大するために、すなわち実業家としての立場から、次なるターゲットに自動車、しかもそれまでフェルッチオが所有していたフェラーリやマセラティといったブランドを超える、高級で高性能、しかも美しく快適なGT(グラン・ツーリスモ)を生産するメーカーの設立を決断したのだ。