2ドアのギブリ復活を願う声も多い
だが、マセラティにとって不利だったのは、ランボルギーニがミウラでV型12気筒エンジンのミッドシップを、またフェラーリはデイトナでフロント搭載ながらV型12気筒エンジンの採用を実現していたのに対し、ギブリは4.7リッターのV型8気筒エンジンをフロントに搭載するという技術的なハンデがあったことだった。
しかしながら、1970年までの前期型では330馬力だった最高出力を、排気量を4.9リッターに拡大した後期型では335馬力へとチューニングを進め、最高速では最終的に280km/hを主張するに至ったのだ。参考までにミウラのファーストモデルである、P400に搭載された4リッター V型12気筒エンジンの最高出力は350馬力。両車は完全なライバル関係にあったこともこの数字は証明している。
ギブリには1969年にオープンモデルのスパイダーも追加設定された。
こちらも1970年には排気量が4.9リッターの高性能エンジンの搭載が実現している。
ギブリの生産台数は、クーペが1966年から1973年までの間に1149台。やはりカロッツェリア・ギアの手によってボディが作られたスパイダーは、1968年から1973年までに125台という数字だ。いずれのボディでも5速MTと3速ATの選択ができたこと、そして何より高級高性能GTとしての走りが高く評価されたことが、この数字を達成できた理由にほかならなかった。
古くからのスーパーカーのファンとしては、再びギブリの名が、4ドアセダンではなく流麗な2ドアモデルのそれとして戻ってきてほしいという気持ちも大きいに違いない。