この記事をまとめると
■スーパーカーブームの頃の車両のスペックは公称値が正式なデータとして認められていた
■人気を二分していたカウンタックと365GT4BBの最高速度はそれぞれ300km/hと302km/hとされていた
■しかしながら、カウンタックも365GT4BBも300km/hを出すのは至難の業だった
日本中の子どもたちが憧れた最高速度300km/h超のスーパーカー
いつの時代もカーマニアの憧れの的であるスーパーカー。日本では1970年代の半ばにスーパーカーの一大ブームが巻き起こり、おもに子どもを中心にその存在やパフォーマンス、そしてバックストーリーなどが一気に広まっていくようになった。
当時は当然のことながらインターネットなどという便利なネットワークはなく、洋書もわずかな数が輸入されていたのみといった状況だったから、数少ない情報源のなかから、スーパーカーに関するさまざまな話題が生まれていった。そのなかにはのちに、明らかなオーバースペックだったと判明したものもいくつかあったのだが……。
メーカーから発表されるパフォーマンス・データを、まずはそのままリポートしなければならないのは、いまも昔もかわらない。それが実際に可能な数字であるのかどうなのかは別にして……。メジャーなスーパーカーメーカーのスペックは、現在こそGPSやその他の測定機器を使用して厳密に測定されるが、1970年代当時はスペックシートに記載されたもの、すなわち公称値が正式なデータとして認められていた。
そこで誰もが思い出すのが、フェラーリとランボルギーニによる最高速戦争。フェラーリの365GTB4BBとランボルギーニのカウンタックLP400という、ほぼ前後して誕生したこの2台のスーパーカーは、日本のスーパーカーブームにおいても欠かすことのできない主役級のモデルだった。
そしてその気になる最高速は、365GT4BBが302km/h。カウンタックLP400は300km/h。300km/hといえば、現在では多くのスーパーカーがその壁を超えるある意味一般的な最高速となってしまったが、1970年代にはそれはまさに夢の数字だったのである。
もちろんそれを実際に体験したものなど、スーパーカーブームの主役であった日本の少年のなかには誰ひとりとしていなかっただろう。だが、300km/hと302km/hとの間に存在するわずか2km/hの最高速の差は、確実に当時のスーパーカーの世界にひとつのヒエラルキーを作り上げたのだった。