シルビアには幻のロータリー搭載計画があった! オイルショックに阻まれた残念すぎるプラン (1/2ページ)

この記事をまとめると

■NSUが世界で初めて完成させたロータリーエンジンはマツダがそれを発展させた

■1970年の排出ガス規制の折にはロータリーエンジンが注目されることになった

■日産もシルビアにロータリーエンジンを搭載する計画があったが石油危機の勃発でお蔵入りとなった

ロータリーに興味を持っていたのはマツダだけではなかった

 ヴァンケル型のロータリーエンジンは、ドイツのNSUが世界ではじめて完成させた。ヴァンケルスパイダーとRO80というロータリーエンジン車を世に出したが、経営難に陥り、フォルクスワーゲン(VW)と合併し、アウディ・NSU・アウトウニオンとして生き残るのが精一杯だった。

 そのロータリーエンジンの特許を取得し、量産化へ持ち込んだのが日本のマツダである。1967年に、コスモスポーツが発売された。そして、ファミリアの一車種としてロータリークーペや、ルーチェロータリークーペなどへ展開されていく。

 そこに、1970年のマスキー法案を基にする排出ガス規制が日本でも実施されることになった。1969年まで自動車メーカーが率先して取り組んできたレース活動が相次いで中止されるほど、排出ガス浄化への道のりは厳しかった。そうしたなか、規制の達成をいち早く実現したのが、ホンダのCVCC(複合渦流調速燃焼方式)と、マツダのロータリーエンジン用サーマルリアクター(熱反応器)であった。

 三元触媒が開発される前のことである。どちらの方式も、あらゆる自動車メーカーが窮余の一策として取り組んだ。日産自動車も同様で、1970年にロータリーエンジンの特許を取得し、1972年の東京モーターショーで当時のサニー・エクセレントに車載した出展車両を展示した。サニーではなく、車格上のサニー・エクセレントであったことが、やや上級のスポーティクーペでの市販実現を想像させた。それが、2代目シルビアの構想であった。

 ところが、1973年10月に第4次中東戦争が勃発し、世界が石油危機に陥った。原油価格は7割近く上昇し、これによってガソリン価格もあがり、消費者の燃費に対する目が厳しさを増す。


御堀直嗣 MIHORI NAOTSUGU

フリーランスライター

愛車
日産サクラ
趣味
乗馬、読書
好きな有名人
池波正太郎、山本周五郎、柳家小三治

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