この記事をまとめると
■ダイハツ・アトレーのOEMとしてトヨタからスパーキーが販売されていた
■ダイハツのOEMでもトヨタのほうが売れるというのが通例であったがスパーキーは苦戦
■アトレーよりも1年ほど早く販売を終えてしまった
トヨタブランドを持ってしても敵わなかった稀な例
軽自動車では業界トップクラスの知名度を誇るダイハツ。しかし、コンパクトカーにおいてはOEM供給した先のトヨタブランドで販売されたもののほうが販売台数で上まわるということも珍しくなかった。
たとえばダイハツ・ストーリアとトヨタ・デュエットでは、ストーリアが3.7万台ほどの販売台数だったところ、デュエットは12万台以上を売るといった具合。これはそもそものユーザー層の違いと販売力の差もあったため、ある意味致し方ない部分ともいえるだろう。
しかし、そんなダイハツからトヨタへOEM供給がなされていながらも、ダイハツの牙城を崩せなかったモデルが存在していた。それが2000年にデビューしたスパーキーである。
このスパーキーは、ダイハツのアトレー7のOEM車であり、アトレー7は軽ワンボックスワゴンのアトレーをベースに1.3リッターエンジンを搭載し、ボディ外板パネルを大型化したものを装着するなどして普通車登録としたもの。乗車定員は車名が表すように7人乗りとなっていた。
このアトレー7とスパーキー、当然OEM車であるからクルマとしての基本は共通となっていたのだが、スパーキーのほうはアトレー7ではオプション設定となっていたABSやメカニカル2段アシスト機構付ブレーキといった安全装備や内装の加飾などが標準装備となっていたため、販売価格ではスパーキーのほうが10万円ほど高くなっていたのだ。
もちろんアトレー7でも同様の装備を追加すればスパーキーと同等の価格になったのだが、スタート価格が高く見えてしまったことで、ユーザーの多くはアトレー7に流れてしまったというワケである。
また、アトレー7には商用登録となる「ハイゼットグランカーゴ」なるモデルも用意されていたが、スパーキーには設定されず、「商用モデルを見にきたけれど、見比べた結果乗用モデルにした」というユーザーをキャッチすることができなかった点も少なからず影響しているといえるだろう。
そして、販売チャネルもどちらかというと年輩のユーザーが多かったビスタ店専売だったことも販売台数が伸びなかった一因かもしれない。
結局、スパーキーはアトレー7よりも早い2003年夏には販売を終了し(アトレー7は2004年末まで販売)、その後、トヨタからこのクラスのワンボックスワゴンが登場していないのは、この失敗があったからだろうか?