これぞリアルな農道のスーパーカー! フォード・ポルシェ・ランボルギーニの熾烈な農園バトル (2/2ページ)

最初はトラクターのメーカーだったランボルギーニ

 油圧システムを装備したフォードのトラクター「Nタイプ」がアメリカで売り出される少し前のこと。ナチ党首のヒトラーがお気に入りエンジニアのひとり、フェルディナンド・ポルシェ博士にドイツの農業生産効率を高めるためのトラクター開発を命じました。1933年ごろと思われますが、ヒトラーはアメリカやイギリスで次々と生産されていたトラクターのニュースが耳に入っていたこと間違いありません。

 で、1937年には博士が試作車を完成させ、ヒトラーによってフォルクス・シュレッパー(Volks Schlepper=人民のトラクター、フォルクス・ワーゲンと同じ命名方式w)がお披露目されたのです。

※写真は1959年式ポルシェ・ディーゼル・シュレッパー・スタンダード

 が、タイミング的に戦争に突入してしまったため、これは試作品だけであっけなく終了。ポルシェ博士は兵器の開発を余儀なくされてしまうのでした。どうやら、ポルシェ博士は戦後、このトラクター生産を目論んでいたようですが、戦犯となったことや試作のみで終わったことから自らの名前を冠したメーカーとなることはドイツの法律的にNGだったようです。

 もちろん、それくらいで凹む博士ではありませんから、手始めにオーストリアの工業メーカーとライセンス契約し、続けてドイツ国内のアルガイアー社とも生産契約を結んだのでした。で、1949年には2気筒ディーゼルエンジンのAP17(AP=アルガイアー・ポルシェ)をリリース。この収益こそ、グミュントで356を作り始めていた博士の大きな原資となったこと、あまり知られていないかもしれません。

※写真は1959年式ポルシェ・モデル108ジュニアトラクター

 ちなみに、959の開発責任者を務めるなどポルシェの頭脳と呼ばれたヘルムート・ボット教授のご自宅に招かれた際、博士が真っ先に自慢してくれたのがポルシェ製トラクターでした。一発でエンジンを始動させたとき、博士のキラキラした笑顔はいまでも記憶しています。が、AP17だったかどうかは定かではありません。なにしろ、アルガイアーは200万台にのぼるポルシェトラクターを生産していたのですから。

 ポルシェ博士のトラクターが市場に出まわり始めたころ、イタリアではフェルッチオ・ランボルギーニが軍の放出トラックのディーラーを開業してそれなりの成功を収めていました。拠点となったサンタアガタは農業が盛んな土地柄だったことが理由とされていますが、ランボルギーニはほどなくしてトラクターの製造に手を出したのです。

 1948年にはランボルギーニ・トラットリ(トラクター)として創業、販売を開始しており、現在に至るまで堅調なビジネスを展開している模様。当初、彼が作るトラクターはエンジンの始動時だけガソリンを使い、通常運転では軽油で作動するという経済的なマシンで、これまた飛ぶように売れたそうです。

※写真は1956年式ランボルギーニDL25トラクター

 これで巨万の富をえたフェルッチオが1963年、ついにトリノショーに自らの名を冠した350GTVをデビューさせたのはご承知の通り。

 一見すると馴染のなさそうなクルマとトラクターですが、ここで紹介したブランドの時代背景や土地柄など詳しく調べていくと、まだまだ興味深いエピソードが隠されていそうです。また、現在のトラクターについてもクルマの遠縁かのように思えて、見る目が変わるのは決して筆者だけではないでしょう。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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三菱パジェロミニ/ビューエルXB12R/KTM 690SMC
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好きな有名人
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