トヨダAA型の開発・生産があったからこそクラウンが誕生した
そもそもトヨダAAは生産台数が少なかったことや、戦禍(第二次世界大戦)によって、ほとんどが消失したとされてきた。だが、ロシアで発見され、オランダの博物館に1台が収蔵されている。のちに、トヨタ博物館の鑑定により、そのクルマはAA型に間違いないとされた。
トヨタ博物館には、残された資料などを手がかりに復元されたAA型(レプリカ)が展示されている。この復元作業の経験を活かし、1996年にAA型を彷彿とさせるトヨタクラシックが100台限定生産された。基になったのは、ピックアップトラックのハイラックスだ。ほかに、トヨタ博物館にはAAの改良型とされたAC型が収蔵されている。
第二次世界大戦後まもなく、トヨタは大柄な米国車を範としたAA型から一転し、国内の交通事情により適した欧州車に学ぶSA型という乗用車を開発した。ここで、トヨペットという車名もはじめて使われた。ただし、製造されたSA型はわずか213台に止まった。
以上のような経験を積み上げ、トヨタは、1955年に日本初の純国産設計によるクラウンの発売にこぎつける。クラウンは、トヨタ車の中核をなすコロナやカローラなどのなかでもっとも古い車種である。
昨2022年、フルモデルチェンジにより16代目となったクラウンが、新たにクロスオーバー車として名を継承する決断をした背景には、AA型にはじまる以上のような歴史を踏まえた思い入れがあるといっていいだろう。