この記事をまとめると
■ピーキーな挙動で扱うのが大変だったスポーツカーを紹介
■80年代から90年代に登場したミッドシップマシンはプロでも扱うのが大変だった
■軽のスポーツモデルはショートホイールベースが故に挙動がピーキーだった
プロでも手こずったじゃじゃ馬スポーツカーを振り返る
「ピーキー過ぎてお前にゃ無理だよ」とは、劇場アニメ「AKIRA」の象徴的な乗り物『金田のバイク』にまたがった鉄雄に向けて放たれたセリフとして有名だが、ピーキーなスポーツカーを乗りこなすことができるというアピールは、古くからドライバーが腕を自慢するときの定番的な表現でもある。
最近はスポーツカーであっても、限界域でのブレーキコントロールをアシストするABSや車両を安定させるESCといった電子制御が当たり前の装備となっている。ドライバーのスキルには、そうした電子制御を使いこなすことも重要な時代ともいえる。しかし、トラクションコントロールやスタビリティコントロールといった電子制御がなかった時代には“ピーキー過ぎて並大抵のドライバーでは制御不能”といえるモデルも存在していた。
その代表といえるのが1992年に誕生したマツダ・オートザムAZ-1と翌年にデビューした姉妹車のスズキ・キャラだろう。
当時、軽自動車最強とうたわれたスズキF6A DOHCターボを、専用のガルウイングボディのミッドシップに積んだAZ-1/キャラ。一般的にミッドシップの優位性といわれるリヤのトラクションは抜群だったが、その反対にフロントの接地荷重はないにも等しかった。
筆者は、個人的にキャラを所有していたことがあったが、高速道路で加速するとフロントが浮き上がり、ステアリングを少しくらい動かしてもクルマが反応しないという現象を何度も味わっている。さらにAZ-1/キャラのステアリングギア比はクイックで、ロック・トゥ・ロックは2.2回転となっていたため、フロントが接地しているときにはちょっとしたステアリング操作が想像以上に挙動として現れる難しさもあった。
さらにエンジン横置きミッドシップの悪癖である重心の高さに加えて、ガルウイングドアの上部がガラス製であったため、急激に大きなロール挙動をみせる一面もあった。ジムカーナのような走りではプロドライバーでさえ横転させたことがあるほどコントロール下に置くのが難しく、アマチュアドライバーの手に負えるシロモノではなかったというのが、振り返っての正直な感想だ。
同じく横置きミッドシップの国産スポーツカーといえば、トヨタMR-2が思い浮かぶ。じつは筆者は初代MR-2(AW11)にも乗っていたことがある。こちらも非常に運転が難しいクルマで、車両を安定させるには微妙なアクセル操作により前後の荷重を常に最適にコントロールしてやる必要があったと記憶している。
個人的には、Sタイヤと呼ばれた競技用のハイグリップタイヤを常に履くことで、タイヤに頼ってスタビリティを確保していたが、おかげでサスペンションやボディへの負担は大きく、ブッシュが千切れてしまうこともあった。