巨匠たちはいまでも第一線で活躍中
ホンダデザインの黄金期を創り出す
3人目は岩倉信弥氏です。児玉氏と同じ多摩美術大学を卒業した1964年に本田技研工業へ入社、1999年の退社までホンダデザインを支えました。
氏の仕事は、初代シビックやアコードといった70年的クラシックデザインから、2代目プレリュードや初代CR-Xといった80年代の革新的デザインに加え、90年代の初代オデッセイまで、極めて長いスパンの時代に沿っていたのが特徴。とりわけ80年代の仕事は、同社のデザインの黄金期だったと言ってもいいでしょう。
岩倉氏は退職後、人の生活とデザインの関わりについてじつに幅広い「デザイン論」を提示していますが、その視野の広さや奥深さが当時の仕事ぶりを想起させるのです。
確固たる信念が生み出した名作たち
4人目は、前澤義雄氏です。東京藝術大学を卒業後、プリンス自動車工業へ入社。以降1992年まで日産自動車で活躍しました。
1985年のMID-4以降、3ナンバーサイズの4ドアスポーツカーと謳われた3代目マキシマ、新型のモチーフにもなったZ32型フェアレディZ、そして欧州市場を震撼させた初代プリメーラ、5ドアセダンが個性的な4代目パルサーなど、日産デザインのいち時代を築いた功績は絶大です。
晩年は自動車評論家として、2014年に逝去されるまで時間的耐久性のある普遍性を持ったデザインの重要性を説きました。その信念はメーカーの域を越えたものだったと言えます。
巨匠が認めた確かなデザインセンス
最後は、荒川健氏です。多摩美術大学を卒業後に三菱自動車工業へ入社。実績を積む中、1988年にマツダにヘッドハンティングされました。
バブル期の5チャンネル体制の中、ユーノスブランドを任された同氏が1991年に送り出したのがユーノスプレッソ。イタリアンなスタイルはアルファロメオのバッジが付いていてもおかしくない出来でした。そして、1992年のユーノス500は4ドアクーペの先駆けであり、あのジウジアーロが絶賛したほどの美しさでした。
1995年に独立して自身のスタジオを構えましたが、エモーショナルでありつつシンプルさも持ち合わせる独自のセンスは、後の魂動デザインの基礎を築いたのではないでしょうか。
日本のメーカーでは、個人のデザイナーの名前が前に出ることは多くありません。もちろん、チームでの作業という特性はありますが、それでも優れた仕事には注目したいし、光が当たって欲しいとも思います。今回取り上げた5人以外にも多くの才能があるのですから。