馬の時代から続く英国の左側通行の伝統が継承
右側通行は、フランスの影響だという。ナポレオンの勢力は英国を除く欧州とロシアにまで達していた。ナポレオンは政権に着くと交通網の整備をしたとされ、右側通行することにより戦果を得たことなどから、衛星国を含めその支配地域が広かったことが、欧州での右側通行に影響しているとの説がある。それでも18~19世紀初頭の話で、歴史は浅い。
クルマが存在を示しはじめてからも、20世紀初頭は右ハンドルが多かったとされる。理由は、変速機のレバーが車体の右側にあったからではないかといわれている。当時、変速する際にギヤ比とエンジン回転の差を縮めるシンクロメッシュという機構がまだなかったため、右利きの人には右手で微妙な変速操作を行う必要があったからとされている。アウディの祖であるアウグスト・ホルヒが競争のため製作したクルマも、右ハンドルで右側通行をしていた。
その後、右側通行では左ハンドルとなった最大の要因は、米国のT型フォードが普及してからと伝えられる。T型フォードの変速は、手ではなく足で行う方式であった。このため変速レバーの位置は関係なかった。また、追い越しなどで右側通行では左ハンドルのほうが先を見通しやすい理由もあったはずだ。
T型フォードが誕生した当時、欧州はまだ1台ずつ手作業で組み立てが行われていたので、流れ作業による大量生産されたT型フォードが第一次世界大戦などを通じて欧州市場にも影響し、右側通行で左ハンドルが欧米双方で広がったといえる。しかし英国は島国であり、昨今のEU離脱を見ても大陸への対抗意識や独自性の強い国柄だ。そこで馬の時代から続く左側通行の伝統が継承されたのだろう。そして英国との関係の深かった国や地域へ波及し、右ハンドルで左側通行となったといえる。