今も昔もFFモデルをミッドシップ化するのがルノー流
話が逸れたが、5ターボはそんなビジョンを補強するに余りある存在だった。「縦置きサンク」と呼ばれた初代サンクのデザインは、ランボルギーニ・カウンタックらと同じくマルチェロ・ガンディーニの作品だし、5ターボの内装はベルトーネが手がけていた。ようは小さいながらも、デザインはスーパーカーにひけをとらなかったのだ。
エンジンパワーは当初の市販版は160馬力だったが、元々は50馬力未満だったこの古いエンジンブロックはチューンやボアアップを重ねており、半球型燃焼室ヘッドすら与えられて自然吸気で100馬力前後にまで仕上げられていた。それが最終的には1.6リッターで約400馬力まで高められれたのだ。
しかも5ターボは黎明期のターボとして、後からトルク&パワーが炸裂するドッカンターボの代名詞のような一台だった。ショートホイールベースで容易にドリフトに持ち込むことで、しかしコントロールの難しい、つまりラリーで速く走らせたらとんでもなくカッコいい、とされるタイプだった。
実際にそれをやってのけ、ツール・ド・コルスをはじめ欧州やフランス選手権の数々のラリーで伝説を積み重ねたのが、ジャン・ラニョッティだ。ちなみにラニョッティはラリー中、サービススペースで前後左右各タイヤを整然と並べてメカニックが待機していたら、整揃いしていたメカニックの前でジョークのつもりだったらしく180度ターンを決め、前後左右すべて想定と逆にピットストップしてきたことがあったという。
登場から2年後の1982年、5ターボ2へ進化を遂げるが、これはコストを下げるためにベルトーネ内装ではなくルノー5アルピーヌターボと同様となり、ドアやルーフはアルミから鋼板に替えられた。ターボ1より安いが、パフォーマンスのレベルは同じ、というのがむしろウリで、1700台弱ほどが生産された1に対し、ターボ2は3200台近く売れた。だが、グループBマシンとしては4WD勢力の台頭もあって、徐々に5ターボは押されてしまった。
それでも、小さな体躯に似つかわしくないパワーとハデなオーバーフェンダーで、ドリフトアングルをつけながら路面を駆ける姿は強烈に印象に残った。
1990年代後半にルノー・クリオV6ターボが登場したときも、5ターボの再来と騒がれた。要はパワーユニットの世代が、とくにハイパワーなそれへと新しくなると、大衆車モデルでミドシップに積んでドリフトマシンに仕立てなければ気が済まない、それがルノー流なのだ。