この記事をまとめると
■かつてアストンマーティンにはラゴンダと呼ばれるスーパーセダンが存在していた
■1979年に発表したラゴンダ・シリーズ2はその後シリーズ3、4と進化を果たして1990年まで販売された
■ラゴンダはアストンマーティンのEVブランドとして復活が発表されたがいまだ実現はしていない
DBSのホイールベースを300mm延長して誕生したセダン
1960年代後半から70年代中盤にかけて、イギリスは斜陽国家の誹りを受けつつもテクノロジーに関する世界的なイニシアティブはかろうじて保っていたようです。コンコルドしかり、BMCミニしかり、そしてアストンマーティン・ラゴンダという未来志向のスーパーセダンが生まれたのもこの時代。イギリスの平均的な住宅価格のおよそ2倍から3倍という非常識なプライスタグを下げて登場したラゴンダとは、いったいどんなクルマだったのでしょう。
そもそも、ラゴンダというのはクルマのメーカー名で、1948年にアストンマーティンと併合されるまではレーシングカーまで製造する高級車ベンダーだったのです。かのW.O.ベントレーさえ一時期働いていたといいますから、技術的な裏付けも確かだったこと、想像がつきますね。で、いまでこそアストンマーティンという社名になっていますが、当時の正式社名はアストンマーティン・ラゴンダであり、同社にとって「ラゴンダ」は伝説的な名前にほかならないのです。
そんなラゴンダが車名として登場するのは1961年まで待たねばなりませんでした。アストンマーティン・ラゴンダ・ラピードという4ドアセダンで、DB4をベースにスーパーレジェッラで作られたチャーミングなボディを載せたものの、総生産台数はわずか55台で終了しています(2010年登場のラピードもこの車名からかと思いきや、1930年代のレーサーM45 ラピードにちなんだものでした)。
それでもアストンマーティンは懲りることなく、1974年には再びラゴンダと名付けた4ドアモデルをリリース。当時、同社のトップレンジを担っていたDBSのホイールベースを300mm延長し(!)、社内デザイナーだったウィリアム・タウンズがどうにかこうにか4ドアスタイルに変更しています。この時期、オイルショックなどの影響でアストンマーティンは倒産直前。そのあおりで5台しか作られなかったという悲劇のモデルと呼んでいいでしょう。
が、やっぱりこのシリーズ1と呼ばれるラゴンダには、イギリス人にありがちな無理があるような気がしてなりません。いまでいう魔改造そのものですからね(笑)。
そして、新たな経営陣を迎えた1976年、今度はラゴンダ・シリーズ2と呼ばれる新型車を発売。新装開店したアストンマーティンが「景気よくやってまっせー」をアピールするためと噂されています。が、イランのパーレビ国王をはじめとしたオイルダラーがこぞってアストンに「4ドア作れ」コールを送っていたともいわれます。
ちなみに、パーレビ国王は複数台のラゴンダを注文したようですが、亡命後はいずれも行方知れずに。残念ながら、イランの自動車博物館(すべての収蔵車がパーレビ国王のコレクション)では目録にすら載っていません。