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たった13台のみのディーノがオークションに登場! 美しすぎるレーシングマシン「ディーノ206S」とは (1/2ページ)

たった13台のみのディーノがオークションに登場! 美しすぎるレーシングマシン「ディーノ206S」とは

この記事をまとめると

■ディーノ206SはF1/F2用に開発されたV6エンジンを搭載するレーシングカー

■クーペとスパイダーが存在し、とりわけスパイダーは13台が存在するのみ

■2023年2月15-17日に開催されるオークションに出品

苦境に立たされたエンツォはV6エンジンに活路を見出した

 1960年代半ば、あの250GTOの活躍をひとつのピークとして、フェラーリはコンペティツィオーネ(レーシングスポーツカー)とストラダーレ(ロードゴーイングカー)を、各々独自の方向へと進化させる戦略を採ることになった。その決断を下したのは、すでにこの頃にはストラダーレの世界には興味を失っていたフェラーリ社の総帥、エンツォ・フェラーリその人であり、結果的に250GTO以降、コンペティツィオーネは250LMに、そしてストラダーレには275GTBという後継車が生み出されることになった。

 前後してフォードからの買収策を提案されていたエンツォは、しかしながらレース活動における最終決定権が自分に残らない内容であることをおもな理由にそれを拒否。だが、モータースポーツの世界においても、エンツォはさまざまな困難に直面する。

 それは1965年、現在のFIAの前身組織ともいえたCSIが、1967年からF2に搭載されるエンジンを、V型6気筒を上限とする量産エンジンに限ることを表明したことに始まった。当時のフェラーリは、F1はもちろんのことF2にも積極的な体制で臨んでおり、少なくとも年産で500基の生産を必要とするという量産エンジンの開発とその搭載車を現実のものとすることなど夢のような話だったのである。

 ちなみに当時のフェラーリが年間に生産していたストラダーレの台数は約700台程度であったことを知れば、それがいかにエンツォにとって絶望的な条件であったのかは、さらに明確なものとなるだろう。

 とはいえフェラーリは、過去にV型6気筒エンジンを開発した経験がないわけではなかった。最初のV6フェラーリは1957年にランチアからそれを受け継ぐことで登場した、1.5リッターのV型6気筒エンジンを搭載するD50 F1。このエンジンの開発者はかのヴィットリオ・ヤーノであり、エンツォの息子であるアルフレード・フェラーリ(ディーノの愛称で知られる)もそれに関係したとされる。

 このV型6気筒エンジンは、その後さまざまな形式へと進化を遂げていくが、1965年のレーシングスポーツカー、166P用に開発された1.6リッター仕様をさらにボアアップすることで排気量を2リッターへと拡大。これを搭載した206Pは、同年のヨーロピアン・ヒルクライム・チャンピオンシップを獲得するなどの大活躍を見せたのである。

 そしてそもそもの1.6リッター仕様を搭載するモデルをフィアットの力を借りて量産すれば、例のF2の新レギュレーションにも対応できる。エンツォはここに活路を見出したのだ。

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