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WRCを4WDで席巻したアウディの傑作「スポーツクワトロ」! なんと価格は約3億円に高騰していた (1/2ページ)

WRCを4WDで席巻したアウディの傑作「スポーツクワトロ」! なんと価格は約3億円に高騰していた

この記事をまとめると

アウディが1980年代のWRCに向けて開発・製造したのがスポーツクワトロS1だ

■スポーツクワトロS1の完成形となるE2は214台が生産された

■現存台数が15台とされるE2は、先日のオークションで約3億円で落札されている

4WD無双でWRCを席巻したアウディ・スポーツクワトロS1

 1982年、当時のFIAは競技車両のカテゴリーを、これまでの数字による表記(1~8)から、アルファベット表記に変更。大量生産車ベースで改良範囲も狭いグループAに対して、同時に誕生したグループBは、それより改造範囲の広い量産車をベースに争われた。グループBのホモロゲーション(認定)に必要なベース車両の最低生産台数は、かつてのグループ4や5より少ない200台に規定された(正確には連続する12カ月間に規定台数以上が生産されることが条件だった)。改造範囲が広く設定されたのは、より多くのメーカーからの参戦を目的としたことが直接の理由だ。

 また、毎年20台の生産が可能なエボリューションモデルでは、排気量拡大や重量低減が認められ、ワークスチームは常にその最新モデルを使用し、激しい戦いを演じた。グループB内でも排気量に応じて、さらに細かいクラス分けが行われている。1299cc以下の「B9」、1300~1599cc以下の「B10」、1600~1999cc以下の「B11」、2000cc以上の「B12」といったように。また、ターボ車にはターボ計数の1.4が排気量に乗じられるレギュレーションだった。

 グループB車両によるWRCは1983年に始まったが、それ以前から4WDの駆動方式を持つモデルをグループ4にエントリーしていたアウディの強さは圧倒的だった。

 最大のライバルともいえたランチアは、4WDモデルの「S4」の開発を1983年には開始するが、アウディはそれを迎え撃つ「スポーツクワトロS1」を1984年シーズンには投入。この時点でランチアがWRCに投じていたのは、いまだRWDの037ラリーだったが、厳しい戦いのなか、ランチアはRWD車としては最後となるチャンピオンシップを獲得。翌年からの戦いはさらに熾烈さを増していく。

 1985年シーズンを迎えるにあたり、アウディはスポーツクワトロS1をさらにバランスに優れたモデルに改良する必要性に迫られた。1985年8月には、ようやくその理想形ともいえる「E2」が完成するが、これはスポーツクワトロS1をベースに、徹底した軽量化と重量配分の見直しを行ったモデル。

 同時にエンジンはアルミ合金製のヘッドを備えた2.1リッターの直列5気筒20バルブに。

 それにKKK製ターボを組み合わせ、最高出力では公道仕様で310馬力、ワークスマシンは450馬力とも550馬力とも噂される高出力を得ることに成功したという。

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