軽トラックは機能性を保ちながら常に進化を遂げていた
このように、当初は軽トラといってもピックアップ、キャブオーバー、セミキャブオーバーと3つのスタイルが混在していたが、全長に制限のある軽自動車規格(当時は3mが上限)で、最大限に積載性を確保することを考えると、キャビンとエンジンを同じスペースに押し込めるキャブオーバーが有利なのは自明。
そこでハイゼットは1964年に誕生した2代目から、キャリイは1966年にフルモデルチェンジした3代目から、キャブオーバー型のボディに変身する。360cc規格の頃に、軽トラ=キャブオーバーといったイメージは確立したといえる。
その後、1980年代の軽自動車規格が550ccだった時代から2000年代の660cc時代まで、軽トラといえば5社が生産するという激戦区だった時代が続く。
ダイハツ・ハイゼット、スズキ・キャリイ、三菱ミニキャブ、スバル・サンバー、ホンダ・アクティの5モデルは、それぞれが異なるメカニズムを採用していた。キャリイとサンバーで部品共用を進めた時期もあるが、それでも駆動方式はまったく異なるものだった。
具体的には、ダイハツ・ハイゼット、スズキ・キャリイ、三菱ミニキャブがフロントエンジン・リヤ駆動(FR)で、スバル・サンバーはリヤエンジン・リヤ駆動(RR)、ホンダ・アクティはミッドシップにエンジンを搭載するリヤ駆動(MR)だった。いずれにしても、リヤ駆動を守っていたのは、多くの荷物を積んだときのトラクションを確保するためだが、RRのサンバーは同じ駆動方式をかけて「農道のポルシェ」と呼ばれ、アクティはフラッグシップスポーツになぞらえて「農道のNSX」などと呼ばれたのも懐かしい。
また、1999年に現在の軽自動車規格に合わせて軽トラが同時にフルモデルチェンジした際には、ダイハツ・ハイゼットとスバル・サンバーがキャブオーバー型、スズキ・キャリイ、三菱ミニキャブ、ホンダ・アクティはセミキャブオーバー型とトレンドが大きく2手に分かれたことも記憶に残る。
キャブオーバーのメリットはショートホールベースによる小まわり性で、セミキャブオーバーは衝突安全性と高速安定性に有利といえるが、軽トラに求められる機能としては小まわりが効くことが重要。そのため、現行モデルとして生産されているのはダイハツ・ハイゼットとスズキ・キャリイだけになってしまった(他社の軽トラは、どちらかのOEM)が、いずれもキャブオーバー型のボディになっている。
なお、軽トラの未来においても電動化はマストといった状況になっている。そのほとんどが超近距離ユースである軽トラこそ、最小限のバッテリー搭載量としたローコストなEVがマッチするといえる。
そうした流れを受けて、ダイハツとスズキは共同でEVの軽トラを開発することを発表している。ウワサによれば、基本的には同じハードウェアを使ったバッテリー交換型になるともいう。
駆け足で軽トラの歴史を振り返ってきたが、将来的にエンジンを積む軽トラが消えてしまう頃には、ダイハツとスズキがほとんど同じ中身のEV軽トラを生産していて、軽トラは完全にコモディティ化・規格品化した時代になっていくことだろう。